映画評「ベイビーティース」

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年オーストラリア映画 監督シャノン・マーフィー
ネタバレあり

途中で突然判るのだが、ちょっと異色の難病映画である。

オーストラリア。女子高校生のエリザ・スカンレンが、駅で不良っぽい青年トビー・ウォレスと出会い、その自由で強そうな印象に惹かれる。精神科医をする父ベン・メンデルソーンやその患者もである母エシー・デイヴィズは余り良い感じを受けないが、実は難病(多分白血病)を患っている娘のことを思って若者と交流していく。

大雑把にまとめればこんなお話で、何が変わっているかと述べれば、登場人物がヒロインを含めて必ずしも品行方正とは言えないことである。大体難病映画においては、難病にかかるヒロイン(何故か圧倒的に女性が多い)は健気であり、恋人は献身的であり、両親は真剣に娘の病気を心配する。

本作ではそうではない。
 この中で一番平均的なのはヒロインで、薬物狙いで彼女の家にやって来るような恋人と色々と危険な遊びをするのは、限られた時間の中であり得る行動でありましょう。
 母親は不眠症で父親と衝突することも多く、その父親はそれ故に隣人の女性に接近したりする。しかし、いずれもそれぞれの苦痛を抱えている中での逃避的な行為であり、人間的行為と見なしてしかるべし。

序盤隠しているが、彼女は白血病の類で治療の為髪の毛がない。そこで映画は最初から髪を通奏低音にして始まるのだ。ウォレス君は出会ったばかりのエリザに “君の髪は綺麗だ。天使のような輪がある” と言い、やがて疎遠な母親のやっているトリマーを使って彼女の髪を切る。後日すっかり髪の毛を失った彼女は幾つかのウィッグをとっかえひっかえ被って街に繰り出す。
 こうしたところは実に生きが良く映画的であるが、同時に陰鬱さを内包するがちゃがちゃした描写が続くのは僕の趣味に合わない。

断然良くなるのは、登場人物の真情が解る彼女が最期を迎える、時系列の上での最終シークエンスと、この映画で唯一時間巻き戻しによる浜辺の幕切れである。最期(最後ではない)のシーンは様々な感情が交錯し、否が応でも胸を打たれるし、それより恐らく数日くらい前の浜辺のラスト・シーンは、しっとりしてじーんとさせられる。
 しかし、僕の趣味がかなり左右しているとは言え、映画は終盤だけを以って全体の評価を決めるわけには行かないので、☆★は抑えておく。悪しからず。

ああいう自然に見える鬘もあるんだね。僕も髪が薄くなったから良い鬘がほしい(笑)

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