映画評「亀も空を飛ぶ」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2004年イラク=フランス=イラン合作映画 監督バフマン・ゴバディ
ネタバレあり

存在のない子供たち」の映画評へのコメントで常連のモカさんが紹介してくれたのがこの作品である。「酔っぱらった馬の時間」(2000年)という秀作を放ったイランの監督バフマン・ゴバディの作品だから題名は知っていた。
 しかし、今世紀に入って消極的な映画鑑賞生活を送っている為、WOWOWに出て来ない作品はまずスルーされてしまうことになる(たまにNHKでフォローされることがあるが、ごく稀でござる)。本作もそうした作品の一つ。
 図書館にあるので借りようと思うといつも借りられているので、ずっと待っていた。意外な人気作なのである。

さて、「存在のない子供たち」を「アルジェの戦い」(1966年)の物凄いドキュメンタリー的衝撃と比較したが、本作も物凄い。内容の苛酷さから言えば、本作の方が圧倒的と言って良いくらい。

2003年サダム・フセインが米軍に追い込まれ、民衆に銅像が倒される前後のお話で、舞台はイラク軍がガス攻撃を加えたと言われるトルコ国境近くのクルド人集落。
 その中に機械に強く片言の英語(殆ど単語か簡単な成句だけ)を放つ為、村の長老たちからも重宝され、彼の年齢以下の子供たちの絶対的なリーダーとして支持されるローティーンの少年サテライト(本名ソラン)がいる。仇名通り衛星放送のアンテナの扱い(売買を含め)に長じてい、あるいは子分たちに除去させた地雷を売ったりもする。
 そのライバルとなるのが難民の腕のない少年ヘンゴウ(ヒラシュ・ファシル・ラーマン)で衝突を起こす一方、その妹アグリン(アワズ・ラティフ)に惹かれて親切にすることで歓心を買おうとするが、彼女はどうにも素っ気ない。少女は金魚を使って弱視の弟リガー(アブドル・ラーマン・キャリル)の目を直そうとする一方、この子に対しても冷たい。

というのが前半のお話。
 少年が衛星アンテナを扱ったり大人に伍して商売するだけなら、戦後の日本映画を含めそんな逞しい少年をたまに観ることができたが、地雷や銃器を扱うのだから度肝が抜かれる。

こりゃ凄いと思いつつ観続けると、後半になってもっと衝撃的なことが観客たる我々に知らされる。弟と思っていたリガーは何とイラク兵に犯されて産んだアグリン自身の子供なのである。子供の父親故に子供を嫌っていたわけだが、それでも別れるとなると涙を流す。

彼女が子供を置いた地雷原の描出は純粋に手に汗を握らせる。ハリウッド映画のように細工を弄してサスペンスフルに見せるのではなく、即実のうちにサスペンスがあるのだ。
 この救出騒動で怪我を負ったサテライトは、中盤でその予知能力にすっかり驚かされたヘンゴウが、フセインが敗北し米軍がやって来る夢を見たと知り、子分たちを移動させる。ヘンゴウはリガーが沼で溺死する夢を見る。子供を沼に置き去った後崖から飛び降りたアグリンの靴を兄は拾い、米軍の戦車が激しく移動する中、サテライトに渡す。

苛酷な生活を生きる子供たちの逞しさは、親がいなかったり大人が無力さを示すうちに自然と培われたもので、それが当たり前の生活である為、自分達が大人のような行動をしているとか、逞しいといった意識もなく生活を営んでいる。その感覚をゴバディ監督はよく掴んでいて、悲劇・悲惨といった言葉を超えた厳しさがある。繰り返しになるが、もはや言葉にならない。少女の絶望にも胸を裂かれる思いがする。

山岳地帯が舞台ということもあるが、この映画の厳しい態度には「路」「群れ」で知られるトルコ人(母親はクルド人)監督ユルマズ・ギュネイに通ずる。こんな映画を観た後は、暫し商業的な映画は見る気が起こらなくなる。

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