映画評「都会の牙」

☆☆(4点/10点満点中)
1949年アメリカ映画 監督ルドルフ・マテ
ネタバレあり

プライムビデオ無料枠にて。

いきなり警察に中年男エドマンド・オブライエンが現れ、自分が殺人被害者であると名乗るというアイデアは面白い。死者が語り始める「サンセット大通り」のアイデアをちょっと思い出させるが、あれは叙述の為であった。この作品の場合はミステリー的に死んでいない者が何故死者を名乗るのかという面白さである。しかし、その後からいけません。

助平心満点の会計士の彼が、恋人を気取っている秘書パメラ・ブリットンの懇願を無視して一人サンフランシスコで遊興する。ジャズ・クラブで熱い演奏を聴きつつ酒を飲んだ後具合が悪くなる。胃腸の病気と思って医者へ行くと、解毒剤もない遅延性の毒で遅かれ早かれ死に至ると告げられる。
 クラブで毒を盛られたことにすぐに気づいた彼は、パメラに電話して昨日電話を受けたものの結局会わなかった人物を調べてもらう。この男が自殺したと知らされ、彼と結んだ契約故に自分が被害者になったことまでは比較的容易に辿り着く。

一見面白いアイデアだが、それをタイムリミット・サスペンスではなく、犯人と事件とを探るハードボイルド風フィルムノワールにしたのはつまらんと言うしかない。

確かにこの映画にはタイムリミットが用意されているが、その時限はサスペンスとして全く機能しない。何故なら彼の命が助からないのが前提だからである。いくら事件や犯人が解明されたところで彼にとっては積極的な意味が何もない。主人公を事実上の探偵にするには無理があり、典型的なお話の為のお話である。
 彼が何を目的に犯人を探しているのか僕には全く解せない。敢えて理由を探せば、犯人を挙げてそれを手土産にあの世へ行くということだろうが。
 すぐに死ぬと解っているのだから拳銃を向けられてもまあ怖がる必要もないわけで、少なくともお話の面で本作を褒めてはいけない。例えば、24時間以内に犯人を捕まえれば解毒剤が手に入り助かるといった話であれば、陳腐で安手ではあっても手に力が入るというものである。因みに、1988年のリメイク「D.O.A.」では解毒剤が用意されている。当然である。

ルドルフ・マテは撮影監督上がりなので、町を舞台にしたアクション画面の処理が良い。廃屋のようなところから主人公が連続的に銃撃されるのを横移動で撮るところなど誠にいかす。反面、彼が関係者のところに現れるのを何度も見せるカメラは似たり寄ったりで工夫が足りずつまらない。
 こういう見せ方があるせいで場面と場面の繋ぎに気が抜けるところが多く、テンポは速いがリズムもしくは呼吸が悪く、やはりマテには演出家としての素質は余りなかったような気がする。編集権を持たない監督の多いアメリカだから編集者の責任かも知れないが。

配役陣は魅力が薄い。オブライエンが二十顎になりかけた小太りの体の割にはよく動くという印象があり、そこが面白いと言えば面白いが、序盤次々女性をスケペッたらしい目つきで眺める様子など誠に厭らしく、しかも変な音がついているのが興ざめる。

マテ、と言っても死は待ってくれない、というお話でした。

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