映画評「友だちのうちはどこ?」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1987年イラン映画 監督アッバス・キアロスタミ
ネタバレあり

この映画が劇場公開された頃は東京からJターンして埼玉に住んでいた。住居地周辺には来なかったので、東京まで観に行った。アッバス・キアロスタミ初体験なり。

イラン北部、アゼルバイジャンに近い地域での素朴なお話。日本なら小学2年生か3年生に相当する男児モハマッド・レダ・ネマツァデ(アハマッド・アハマッドプール)君が、ノート以外の紙に宿題をしたことを先生に“同じことをもう一度繰り返したら退学だぞ”とひどく叱られる。学校が引けて急いで家路につくモハマッド君が転ぶ。それを目にした優しい同級生アハマッド(ババク・アハマッドプール)君が道に散らばったものを拾って、立ち上がった彼に渡す。この時にアハマッド君がネマツァデ君のノートを一緒に持ち帰ってしまう。

落ちたものは全てネマツァデ君のものであるはずだからここでアハマッド君が彼のノートを持ち帰ることはありえないと思うので、実際には机から間違って入れてしまったのだろう。

家に着いてそれに気づいた少年は、ネマツァデ君を退学させてはなるまじとノートを届けに出かけようとするが、厳しい母親は宿題を先にしろ、その後は買い物だ・・・とそれを認めない。軽く宿題をした後にこっそり家を抜け出た少年は、村の名前しか分らないネマツァデ君の家を目指すが、その村には4つの地区があり、しかもネマツァデという姓が多く、スイッチバックの山道を往復したり、隘路をぐるぐる巡る羽目になる。

主題は、8歳の少年が悪への誘いに一切めげずに自分の信じる善をひたすら守り抜くこと。大人たちに悪意はないのであろうが、早く目的を達成する必要のある少年にとっては大いなる障壁である。しかるに少年は本格的な口答えはしない。かつて日本にもあった儒教の考えにも似た、大人の言うことは黙って聞けといったイスラム教の戒律の厳しさをそこはかとなく批判しているような気がする。

しかしですよ、この映画に出て来る大人が碌なものではないからこの映画はダメだ、といった(嫌な人間が出て来る映画に必ず発言される)意見は、社会の実際を碌に理解していない戯言と思う。実際の世の中は嫌な人間が多く、そう仰る貴方も他人からそう思われているかもしれないのですぞ。
 そこを一歩譲ったとして、この映画に出て来る嫌な大人は善性を守り抜く少年を生かす為に出て来るのであるから、少なくともそれを理解せずにこの映画に評価を下すことはできない。

さて、映画として感心させられるのは、じれったさの感じさせ方だ。じれったさは少年自身が大人たちに対し屡々感じる一方、母親に “宿題をしろ” と言われたら宿題に向うのが早道なのに少年は愚直だからそれができない。観客は状況だけでなくそうした少年にもじれったさを感じ(大人になった我々が指摘するのは簡単ながら、多分8歳の善良な少年はそんなものだろう)、じれったく思う少年と同化するのである。スイッチバック(ジグザク)の道もそのじれったさを象徴し、また絵としても美しい。

余分な要素を一切持ち込まない幕切れの巧さ、味の良さ。出入り口を駆使する映像言語の扱いも実によく計算されたもので、アロスタミの才能に舌を巻く。

僕はイスラム(に限らないが)原理主義には批判的である。しかし、フランスの新聞社が取った態度やその後の政府の対応には問題がある。表現の自由に他人・他者を誹謗中傷したり、意図的に侮辱することを入れてはならない。批判と悪口は峻別しないといけない。

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