映画評「十二人の怒れる男」

☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1957年アメリカ映画 監督シドニー・ルメット
ネタバレあり

昨年末と本年年初に本作のフォーマットを利用若しくはパロディー化した邦画二本を見た。リンクしようと思ったら、ロシア映画版「12人の怒れる男」(2007年)は出て来たが、本作はなかった。これはまずいと思ってライブラリーから出し、やっと再鑑賞に至る。厳密には20世紀のうちに恐らく2度、2002年か2003年に一度観ているので、今回は恐らく都合4度目と思う。
 余りによく知られた物語なので、今更記すまでもないが、例によって簡単に。

18歳の少年が暴力的な実父を殺すという事件の裁判の弁論が終り、12人の陪審員たちの審議が始まる。
 メンバーは、進行役を仰せつかるマーティン・バルサム、ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、E・G・マーシャル、ジョゼフ・スウィーニー、ジャック・ウォーデン、エド・ベグリー、ジャック・クラグマン、ジョージ・ヴェスコヴェック、ロバート・ウェバー、ジョン・フィードラー、エドワード・ビンズ。
 証人二人の証言を聞いて11人は文句なしの有罪とするが、一人フォンダのみがあやふやな証言と証拠のみで少年の運命を決めて良いものかと疑問を呈し、無罪とする。彼が証言や証拠の問題点を色々とあげつらうちに無罪派が次第に増えていく。最高齢スウィーニーの発言した中年女性の近視説に転向する人が続出、遂にコッブ一人が有罪派となる。しかし、彼とて突きつけられた反証に折れるしかなく、かくして多くのメンバーは気分良く裁判所を後にするのである。

ほぼ全員が有罪(もしくは賛成)の中ただ一人無罪(若しくは反対)から始まり他のメンバーが転向していくという討論劇のフォーマットを確立した作品であろう。本作のウォーデンのように(他人には)くだらない理由で早く帰りたがる人がいるのも定石となっている。

(フォンダのように)人が人を裁くという難しい行為に真摯な態度で臨む人を見せることによって人間劇としての感銘がもたらされるのだが、それだけで良い映画になるわけもなく、討論の間に現れる個々の人間性や出自の問題を考えさせる面白さと緊密度の高さが、男優たちの優れた演技により維持されるのが、映画的に卓越した作品である所以。

余り指摘する人がいないところで、僕が象徴として注目するのが天候である。始まった頃の真夏の暑さは議論の熱を予想させ、次第に激しくなる大雨は議論の混沌、そして雨上がりは議論が終った爽快な気分を表していると思う。そのすがすがしい解放感は、閉鎖された部屋から出た広々とした外部の描写によく表されてい、この辺り映画的に非常に素晴らしい。甚だ演劇的であるとしてごく一部に評価しない人もいるが、カメラワークは適切であるし、この天候の扱いだけでもそんなことはないとお解りになりましょう。
 やはり法廷もののベスト1という僕の印象は変わらない。

くだらない理由と言えば、今年当家が隣保班班長なのだが、オリンピック期間中は何事もないことを祈っている。オリンピック狂の僕が日本で体験できる最後の夏季五輪。ネットを含めて全てを見たい僕には録画は意味を成さない。それを言ったら家人の顰蹙を買った。敢えて自虐的に言えば、僕は野球の試合が見たいウォーデンと同じなのである。

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