映画評「地上最大のショウ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1952年アメリカ映画 監督セシル・B・デミル
ネタバレあり

1990年くらいからCGの普及のせいでアトラクション的な映画が増えたわけだが、セシル・B・デミルの作品は大昔からそういう傾向にあった。特に本作はサーカスの場面が半分くらいを占め、アトラクションそのものである。そういう作品が珍しかった1952年だから高く評価された向きがあると思われる。しかし、僕は今観ても面白く感じるのである。

チャールトン・ヘストンは、経営するサーカス団を一層盛んにする為に、恋人に近い関係にある空中ぶらんこスターのベディ・ハットンに代わるセンターに世界的スターのコーネル・ワイルドを雇うと宣言、ベティは焦るが、彼は遂にやって来る。かくしてベティとワイルドは派手な見世物をネットなしにするようにどんどんエスカレートする。しかし、彼女は、ヘストンが自分よりサーカス経営に夢中なのに不満で、ライバル関係にありながらもワイルドによろめく。
 それでも依然火花の散る関係にあっていきり立つワイルドがネットなしの状態で落下して再起不能の重傷を負い、責任を感じるベティがワイルドに走る。その隙をついてドロレス・グレアムがヘストンに接近する。彼女の恋人の象使いは嫉妬した結果サーカスを追われ、チンピラと組んでサーカス列車の強盗に走る。ところが、恋人の乗る列車に後続車が追突しそうになったため自ら後続車に突っ込み、列車は尽く大破する。
 そこで、難病の妻を安楽死させた罪で追われる元外科医のピエロ、ジェームズ・スチュワートが活躍して、重体に陥ったヘストンを救うのだが、彼を追って乗っていた刑事は彼に敬意を払いつつ逮捕する。

まずサーカス自体が魅力的。寄りではベティが実際に演じている空中ぶらんこだけではなく、他の空中軽業、動物を使った見世物が大いに楽しめる。当時の観客は多くこれだけで料金分を楽しんだと感じたのではないか。

これを縦糸とするならば、錯綜した恋愛感情が横糸である。ヘストンは感情を出さないタイプではあるし、ワイルドも意外と本音を隠すようなところがあって、隠微な恋愛心理が楽しめるような仕掛けが散りばめられてい、予想外に本格的な恋愛映画としても見応えがある。

最後の列車事故のスペクタクルはおまけみたいなもので、一部に特撮が貧弱という意見があるが、当時の水準ではあんなものだろう。貧弱でも立派な絵(CG)より僕は好きですがね。

安楽死を実行しただけのスチュワートが逮捕されるのは、まだキリスト教原理主義的な考えが席巻していたアメリカ映画らしい。当時の日本の人情劇なら刑事は目をつぶるのではないかと思う。

最近は邦画における人情も変わり、TV「相棒」の杉下右京は、人情はあっても法に則して厳しく断罪する。安楽死の実行が犯罪なのか個人的には疑問ですがね。昔の映画を見ると堕胎を含めあらゆる殺人を否定するアメリカ保守人種でも負傷した馬は安楽死させる。人と馬の違いはどこに?

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