映画評「来る」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・中島哲也
ネタバレあり

澤村伊智というホラー作家の小説「ぼぎわんが、来る」を中島哲也監督が映画化。全体としては、日本の「エクソシスト」である。

ブログで子煩悩ぶり、イクメンぶりを発揮していた秀樹(妻夫木聡)が、子供時代に知り合いの少女に言われた恐ろしい霊的存在が遂に幼い娘・知紗のいる自分の家庭にやって来たと信じてオカルトライター野崎(岡田准一)に縋り付き、その知人であるキャバクラ嬢・真琴(小松菜奈)に除霊して貰おうとするが、その姉琴子(松たか子)によれば半端な彼女の能力が却って災いを多くし、結局秀樹は殺されてしまう。
 それから話はその妻香奈(黒木華)に移り、子供の我儘を含む様々な要因が重なって怒りを知紗にぶつけてしまい、彼女もまた霊的存在の犠牲となる。
 そこで漸く本格的に現れるのが最強の霊能力者・琴子で、警察ともコネのある彼女はあらゆるお祓い関係者を総動員し、一家のマンションに向けお祓いを敢行する。

というお話で、頗る同時代的であるのは、児童虐待の問題を隠れたテーマにしていることである。親への理解を示すところもあるが、その後の展開を考えると、子供に寄り添えない親こそ問題であると解釈すべき内容となっている。

親に寄り添って貰えない知紗がいつの間にか知り合った霊的存在と共感して、偽善的な父親、そして虐待へと突き進む母親を殺す。かくして大きくなっていく霊は邪魔をしようとする存在をも排除しようとする。
 知紗は登場人物を映す鏡であり、人がおしなべて持つ弱さ――この映画では主に嘘・偽りとして現れる――を栄養源とする霊的存在が、知紗を触媒として増殖していく。それが本作の本質的な内容であろう。

演出的には、当初、序盤の結婚式のタッチに違和感を覚えた。中島監督らしいポップさを内蔵した実に気持ち悪い描写だったからで、途中までもっと平凡なタッチにしたほうがその後に待ち受けている恐怖が生きると思ったのだ。しかるに、秀樹が死んでその偽善的で軽薄な性格と偽りの仲良し家族ぶりが浮かび上がってくるに及び、正にその軽薄さを予告するタッチだったのだと思い知る。

そして、第二部に入り第一部の内容がひっくり返されるというお話の構図は、芥川龍之介「藪の中」或いはそれを原作とする黒澤明監督「羅生門」(1950年)を想起させるものである。巫女的な存在が絡んでいるのを考えると、原作者は多分に意識していると思われる。

細かく分析しようと思えばもっと色々出来るが、本稿はあくまでちょっとした映画ガイドのつもりなので、この辺に留めておきましょう。

この映画の終わりは“愛”じゃない。寄り添わない心のアンチテーゼである。娘に呑気なオムライスの夢を与えられない親が悪夢を生み出したのである。

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