映画評「さびしんぼう」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1985年日本映画 監督・大林宣彦
ネタバレあり

WOWOWが大林宣彦監督特集(6本)を組んでいるが、本作は昔録ったライブラリーから。

30年くらい前に初めて観た時は、前半に満載されるはしゃぎ過ぎたギャグに足を引っ張られて世評ほど良いとは思わなかったが、今回は非常に感動した。こういうノスタルジーに横溢する作品は年を重ねるとぐっと来るということが良く解る現象と言うべし。

同時代の現在と思われる岡山県尾道市。お寺の息子の高校生ヒロキ(尾美としのり)はカメラの望遠レンズで覗くうちに隣の女子高に通いピアノをよく弾いている美少女・橘百合子(富田靖子)に強い関心を抱く。村下孝蔵「初恋」を彷彿とする感覚である。
 ヒロキはぐうたらであるもののロマンティックな性格で、勉強をしろ、ピアノ(ショパン)を憶えろと小うるさい母親タツ子(藤田弓子)を、女性らしい麗しさの欠片もないと軽蔑しきっている。
 フィルム代が欲しくて悪友二人を呼んで寺の掃除をしている時に写真帳に収められた母親の写真をばらまいてしまう。やがて彼の部屋へ顔を白く塗った少女“さびしんぼう”(富田靖子二役)が幽霊のように唐突に現れ、彼を色々と揶揄う一方、17歳になると消えるのだと告げる。
 程なく、ヒロキは自転車のチェーンを外して困っている百合子に話しかける機会を持ち、海を挟んだ島に住む彼女の為にフェリーに一緒に乗って自転車を運んでやる。しかし、彼女はつきまとう彼にもう連絡を取らないで欲しいと告げる。
 17歳の誕生日が来た“さびしんぼう”は予告通りに消えるが、彼女から母親の若い時の青春模様を色々と聞かされたヒロキは母親への軽蔑を払拭し、ショパンを練習し勉強もするのだ。かくして彼の少年時代は終わりを告げる。

何故“さびしんぼう”が母親タツ子のことをよく知っているのか? 答えは簡単。彼女が16歳のタツ子だからである。これは“さびしんぼう”が話を最初に口を利いた時点ですぐに観客には解る仕組み。
 “さびしんぼう”の現れる理由が、少年が写真をばらまいてしまった後16歳の母親が“さびしんぼう”のメイクをして撮られた一枚を拾い損ねたからと判るところが“映画的に”上手い。

僕が感動したのは、今ではぬかみそ臭い中年女性になり麗しさの欠片もないと息子が思っていたタツ子に麗しい青春があり、それを息子が知ったという事に尽きる。彼と母親の新たな関係に目頭が熱くなった。
 実際最後に息子に優しく語り掛けるタツ子の藤田弓子は美しく感じさせる。この彼女なら麗しい過去があっても不思議ではない。彼女が息子にピアノと勉強を煩く強要するのは、初恋の人が勉強ができピアノが上手かったからというのも泣かせるではないか。

ショパンの「別れの曲」もぐっと来る。くどいくらいだが、こういう曲の扱いもあって良いだろう。

本作を再鑑賞したことがこの後思わぬ儲け(?)をもたらす。

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