映画評「水の中のナイフ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1962年ポーランド映画 監督ロマン・ポランスキー
ネタバレあり

古川卓己「太陽の季節」(1956年)や中平康「狂った果実」(1956年)を観た時「こりゃヌーヴェルヴァーグではないか、ポランスキーではないか」と思った。しかし、歴史的には彼らがヌーヴェルヴァーグに影響を与え、ヌーヴェルヴァーグがポランスキーの本作に影響を与えたと言うのが正解であろう。この二作を日本人はもっと誇って良いが、相変わらず日活青春映画の枠で語られることが多い。

閑話休題し、いよいよ本論。

高級車に乗る中年夫婦レオン・ニェムチュクとヨランダ・ウメッカが倦怠期で軽い口論が絶えない状況での気まぐれから、ヒッチハイクの若者ジグムント・マラノウィッツを車に乗せ、そのまま小さなヨットで湖を周航ということになる。翌朝若者が前日からちらつかせたナイフを巡って小競り合いが起きてナイフと共に泳げないと申告していた若者が落ちて、行方不明になる。夫は妻にせかされて探しに出るが、その間に若者はヨットに戻ってきて、夫に不満のあるヨランダと出来てしまう。しかし、若者は桟橋に近づくとそのまま去っていき、夫が桟橋で彼女を迎える。

本作の通奏低音を為すのは対立である。夫と妻、上流階級と下層階級、中年と若者。夫々が主張し合って小さな緊張が常時はらんでいる。つまり、本質的に心理サスペンスなのであるが、この閉塞感を伴う緊張はポランスキーの持ち味でもあると思いつつ、どちらかと言えば共同で脚本を書いたイエジー・スコリモフスキーのテーマであるような気が、彼の一連の作品を観た後では、する。事実、聞くところによると、本作のオリジナル・アイデアはどうも彼が後年アメリカで作る「ライトシップ」(1985年)に酷似する、心理的な犯罪サスペンスであったらしい。

35年前に書いた映画評を読むと「本作は全編駆け引きで成っている」と書いている。そうではなかった。今観ると、三人の葛藤は虚勢の張合いである、ということが解る。それは、若者が去った後冷や冷やしながら警察に行こうとする夫に対して妻が「彼は溺れていなかった」と告げる最後の一幕で明らかになる。夫はある船乗りの話の続きを始め、最後に自分の寓話であることを匂わせてこう言う、「意地っ張りだったのさ」と。つまり彼は最初から自分は意地っ張りであると半ば告げていたのである。他の二人も意地っ張りであるが、彼にそれをわざわざ言わせたのは、やはり若いポランスキーが(自分より一つ前の)戦中既に大人だった世代への皮肉を表現したかったからだろう。

ヌーヴェルヴァーグからの影響と思われるジャズの使い方のセンスが抜群。35年前映画館で一緒に観た同時代のポーランド映画「夜行列車」(1959年)も素晴らしく、甲乙つけがたい出来栄えだった。

画面のみずみずしさは言うまでもない。当時も「今であるから却って新鮮」と記しているが、それに関しては全く変わらない。どのショットも構図が素晴らしく、圧倒される。

ポラン監督がスキ(好き)。

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