映画評「鰯雲」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1958年日本映画 監督・成瀬巳喜男
ネタバレあり

成瀬巳喜男が和田伝の農村小説を映像化したドラマで、脚本は橋本忍。

昭和33年の神奈川県厚木市近郊の農村地帯、元地主の当主・中村鴈治郎は三人の息子たちを思うように操縦しようとするが、長男・小林桂樹は実母の継娘である司葉子との結婚を簡略的に済ませてしまうし、次男・太刀川洋一は家を出て従妹の水野久美を孕ませて、三男に嫁がせようと言う父の計画をぶち壊し、その三男は東京へ自動車修理の勉強に出、僅かに残った土地を売る羽目に追い込む。
 一方、彼の末妹である戦争未亡人・淡島千景は新聞記者・木村功と共に甥(兄の長男)の縁談に頑張るうちに妻子ある彼と深い仲になるが、東京へ転勤する彼をどうすることもできず、田畑に精を出すしかない。

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一族に関する様々な人々が交錯するが、ホームドラマではなく、敗戦から凡そ十年、新憲法が公布され農地解放を経て、急激に変わっていく日本の田園地帯を舞台に元地主とその妹が<時代>に苦しむ様子を丹念に描き上げるものである。
 二人の現状を表す言葉は【我慢】と【諦観】に尽きるが、特に元地主には大変つらい時代であったことは容易に察することができる。我が家を含めて僕の生まれた部落で起きた似たような出来事を種々知っているということもあり、地主にとって農地解放は明治維新以上の革命だったのかもしれないという思いに駆られる。

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本作の本家当主は、大家族故に経済的に分家と逆転現象を起こしているし、長男が賃鋤(ちんすき)の際にかっての小作人の子供に「さぼるなよ」と言われる惨めさに見るように元小作人はのさばっている。借金までして大がかりな結婚披露をしたいのも周囲の元小作人に対する面子である。三男と分家の娘を結婚させて土地を事実上取り戻す算段も銀行員になった次男の行為で全てパーになり、三男の自動車修理工への希望により土地を持つことの意味すら薄らぐ。
 底流にあるのは地主制度時代の強力な父権主義の反動で、戦前当主は父の強権で理不尽にも妻二人を奪われ、昭和33年現在彼自身の強権が次男と従妹を接近させる結果を招いて自らの計画を瓦解させてしまうのだ。

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時代背景は高度経済成長に乗ったばかりの昭和半ばで、牛と耕耘機が混在する田畑の様子が時代を象徴しているが、彼のような元地主故の苦悩すら第一次産業が激減する1960年代半ば(昭和40年頃)には事実上消失してしまうのであろう。

興味深いディテールの中に地主制度時代へのレクイエム的な哀感が漂い、僕は相当興味深く観た。橋本忍らしく構成が力強い。但し、妹のメロドラマ的部分は浮いてしまって余り上手く機能していない感あり。

昭和版「夜明け前」。

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