映画評「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2005年アメリカ映画 監督マーティン・スコセッシ
ネタバレあり

30年程前にザ・バンドのラスト・コンサートを収めたドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」を作ったマーティン・スコセッシが、1960年代半ばそのザ・バンド(ホークス)がバック・バンドを務めていたボブ・ディランがいかに生まれ、世の中がどう反応したかについて、ディラン本人へのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー。208分の大作で、元はTV番組だということ。こんな作品は意識の低い日本TV界からは生まれて来ない。

タイトルは本作が象徴的な意味を込めて何度も繰り返すディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」のフレーズより取られている。

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僕のポピュラー音楽への興味は60年代が一番だが、その中心はやばりビートルズを頂点とするブリティッシュ・ロックということになり、ボブ・ディランへの興味はそれよりは大分低い。
 とは言え、「時代は変る」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」「欲望」という4枚のLPを持っているし、ジョン・レノンにも少なからぬ影響を及ぼしたと思われる詩人として才能には疑問を挟む余地はなく、彼への言及なしに60年代のポピュラー音楽界は語れまい。初期から中期のレコードにはまだまだ手に入れたいものが多い。

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病的なマッカーシズムが止んだ50年代後半、音楽のメインストリームは無難なポップ・ソングであった。その頃ロックンロールを好む少年時代を送ったロバート・ジマーマン(ボブ・ディラン)はミネソタ大学を中退してニューヨークに活動拠点を移し、ヴェルレーヌやランボーといった象徴詩人に益々傾倒し詩人としての才能を開花させていくことになるが、彼が気に入ったジョン・ハモンドは皮肉にも最もMOR的な楽曲を好んでいたコロンビアに彼を紹介。62年のレコードデビュー前に、英国(ウェールズ)の詩人ディラン・トーマスから取ってボブ・ディランと改名する。

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当時の模様は日本でもお馴染の歌手マリア・マルダー、当時の恋人スージー・ロトロなどが色々話してくれるが、この頃彼が音楽的に傾倒したのは第二次大戦前から戦後にかけて社会主義的なシンガー・ソングライターとして活躍したウディー・ガスリーであり、精神病院に入院していた彼に逢ってもいる。その流れの中でデビューし当初はトラディショナル・ソングやガスリー風のトピカル・ソングを歌い、「風に吹かれて」のカバーがピーター・ポール&マリーによりヒットしたことからフォークの旗手的存在、それも反体制的な行動派的なシンガー・ソングライターであると目されていく。

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初期の頃行動を共にしたジョーン・バエズの証言から推し量ることができるように、それはファンやジャーナリストの思い込みや誤解であり虚像に過ぎなかったと思う。65年ニューポート・フォーク・フェスティヴァルでエレキギターを持ち込んだ時のファンの過剰な拒否反応は有名で、英国のファンも罵詈雑言を浴びせているが、今だから言える有利さがあるとは言え、「エレクトリック・サウンドが商業的である」という考えは短絡的で狭量なること甚だしく、社会性に拘らず詩に深みを増したディランの真価に早々に気づいたファンこそ本当の音楽ファンだ。
 ディランは元来フォークの信奉者であったわけでもないし、その枠の中に収まる器でもなく、音楽的にはただのポップに過ぎなかったロックを一段価値の高いジャンルに持ち上げた最大の功労者であることは確かである。

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ディランは激しく変化する時代に生まれある意味翻弄された感があり、インタビュー中心ながら50年代終盤から60年代前半の社会背景が必然的に浮び上がるのが映画的に興味深く、同じ楽曲が繰り返される傾向があるのは気に入らないが、音源として貴重なものも少なくない。
 ポピュラー音楽史の傍流として一番興味を覚えたのはキーボード奏者アル・クーパーの証言。彼は強引に「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音に参加したらしく、後に「フィルモアの奇蹟」と呼ばれる名ライブを披露することになるブルース・ギターの名手マイク・ブルームフィールドとの関係がここに始まるのかと感慨深い。

音楽が音楽以上の存在である時代は60年代で終わった。本作を見ると余計にそんな気になって来る。

一番ディランの影響を感じさせる邦楽LPは桑田佳祐「孤独の太陽」だ!

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