映画評「それでもボクはやってない」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・周防正行
ネタバレあり

秀作「Shall We ダンス?」以来11年ぶりになる周防正行監督の話題作。

満員電車に乗ったフリーター青年・加瀬亮が痴漢容疑で勾留される。以降、人権無視の取り調べ及び長期拘留、12回に及ぶ公判の末第一審では裁判長が有罪を告げる。

テレビ局が関わった邦画は有料TVより先に地上波に出てしまうので本当に困るが、また泣く泣く観た。僕の計算では10分以上のカットがあるようで、恐らく重要度が比較的低い拘留中の場面が相当削られたと思われる。作品を台無しにするCMによる中断は勿論あるが、作品のマニュアル的性格故に意外と流れが損なわれないのは結構だった。

冤罪は怖い。
 僕もキセル容疑で鉄道公安職員の取り調べを受けたことがあるが、扱いは本作での刑事の取り調べそのもの、その言動には二人目の裁判官(小日向文世)のような出鱈目を感じたものである。
 大学での勉学の為四年間暮らした東京を離れ一時的に故郷の群馬に戻って約二週間後、敷金を受け取りに東京に出かけ、映画を二本観た後山手線のどこかの駅から上野に出て高崎線に乗った。さらに信越線に乗り換える必要があり、高崎駅で次の信越線鈍行の電車が来るまで1時間半以上も待つ羽目になる。時間潰しの為に本など読んだりしたが、三月中旬の夜故にまだ寒く体を動かさずにはどうにもならない為構内をぶらぶらするうち鉄道公安職員に疑われたという次第。
 運の悪いことに、持っていたのが目的地までの切符ではなく、自動販売機で買える140円のもの。公安職員の一々頭に来る発言の中で一番頭に残った言葉は「旅は時刻表とにらめっこして決めるものだ」という文句で、本作の裁判官から発せられる「満員電車には背を向けて乗るのが通常では?」という決めつけには同質なものを覚える。しかし、乗ってきた鈍行電車の正確な情報をこちらが記憶していたこと、キセルに必要な定期乗車券を持っていない(持っているわけがないのだ、2週間前まで東京で暮らしていたのだから)ことが最終的に決め手になり清算して解放された。

僕の場合は1時間強の勾留と切符代180円の損失で最終的には済んだわけだが、本作の主人公はそういうわけには行かない。彼は長く拘留され、半年以上に渡って12回も公判を受けるのである。

厳密に言えば、本作において主人公が本当に冤罪なのか否かに関する明確な描写はない。彼の主張及び主観ショットにより観客が勝手に「彼は無実である」と思い込むだけである。
 それは痴漢犯罪では被疑者が無罪を勝ち取る為には<やっていないことを証明する>必要があるという日本の司法制度の欠陥を指摘したいが為に取られた手法で、その前に「冤罪は怖い」という主張を主題にした作品と理解されてはいけないからである。

痴漢は現行犯故に、検察が<やったことを証明する>必要がある他の犯罪とは違い、時代遅れの自白の有効性が未だに高い。その欠陥をややこしくするのが、官憲はメンツの為に自らに不利益な証拠を隠し、裁判官は保身の為に検察即ち国家に逆らおうとしないという情実的な側面で、それをカバーできない日本の司法は誠に頼りなく、無実でも自白すれば軽い扱いを受ける理不尽さが顔を現す。

「疑わしきは罰せず」という司法の精神にもとる、そうした日本の警察制度、司法制度の現状を対策マニュアル的な角度から分析し、最終的にその制度的欠陥を問題提示とするのが本作の狙いであることは前述通り。僕がキセル冤罪の経験をしていないと仮定しても思わず義憤と恐怖にかられないではいられず、正に狙い通りに完成した作品と言って良いと思うが、とりわけ裁判官の交代劇が大きな陰影を生んでいる。

裁判が主役と見なされる本作において主演の加瀬亮は目立たぬ若者を好演。本作ではどの役者もハリウッド映画の敏腕弁護士のように目立ってはいけないのだ。
 他の役者は概ね実績通りで、序盤は心許なさを禁じえなかった、サブの弁護士になる瀬戸朝香も過去の作品よりずっと宜しい。但し、ペンの持ち方はなっていない(笑)。

本作は99.9%の確率で無罪(=秀作)です。

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