映画評「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」

☆☆★(5点/10点満点中)
1967年日本映画 監督・湯浅憲明
ネタバレあり

昭和ガメラシリーズ第3作は、監督が再び湯浅憲明になり、これ以降第8作(最終作)まで全作を担当することになる。
 主題歌を挿入し子供を中心に据えたことから解るように方向性が大分変って、まだ本能的行動という要素を残しているものの事実上ガメラを人類の味方として扱っている。

日本縦断高速道路の用地買収を巡り公団と村民が争っている富士山近くの山村、一連の火山噴火及びガメラの活動を調査中のヘリコプターが謎の光線によりスパッと切られて爆破する事件が起きる。村長の孫・阿倍尚之君が記者を連れて山に入った時落石があり、翼竜風の怪獣が現れて記者を呑み込む一方で、ガメラが少年を助ける。

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ここでガメラと子供の協力態勢で進むという本作のムードが決定されているのだが、少年は怪獣を鳴き声からギャオスと名付ける。
 ギャオスの超音波メス光線の切れ味は凄まじく、それは音叉の原理によるという説明はかなり科学的。その音叉を構成する為に頚椎が二本構造になっているので後ろを向けない弱点があるというのはなかなか生物学的に面白い設定だが、ギャオスが紫外線に弱くて夜行性であるという部分は説得力が薄い。何故なら少年たちが襲われた時はまだ薄暮だったはずであり、脚本の高橋二三が前作同様そそっかしさを発揮したと言うべし。

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さて、人類は人工の血で誘き寄せたギャオスを回転させて平衡感覚を狂わせ夜明けまで飛び立たせないようにする回転作戦を遂行するが失敗。そして、しぶって土地の値段を釣り上げようとしていた村長・上田吉二郎が反省して自らの山林に放火してギャオスを焼こうとしても抜群の消化能力により凌がれてしまう一方、思惑通りにガメラが誘き出され、遂に三度目の対決が始まる。

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今回人類が繰り出す作戦は第一作並みに貧弱化したものの、人間の描写自体は過去二作よりかなり自然になっている。子供のアイデアが作戦になるのは戴けないが、権威者や作戦指揮者の言動が一般人に対して今までほど受動的ではなく大分それらしくなっているのである。怪獣映画とは言え、人間サイドの扱いが可笑しいと作品全体が台無しになることは、論を待つまでもない。

ドラマ上の主役は公団の現場指揮者・本郷功次郎だが、今回作戦面での活躍は最小限。彼の部下の二人がコメディリリーフになっているのも方向性の転換を物語る。

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