映画評「わが心のジミー・ディーン」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1982年アメリカ映画 監督ロバート・オルトマン
ネタバレあり

ロバート・オルトマンは巨匠と言われる割に本邦劇場未公開の作品が多く、これも昨年まで本邦では観ることができなかった珍品。映像はボケボケで最悪に近いが、映画としての内容は優秀である。「ナッシュビル」の放映と併せてWOWOWに感謝したい。

原題の一部になっているテキサスの安物雑貨店(five and dime)にジェームズ・ディーンのファン・クラブのメンバーがジミーの死後20年に久しぶりに再会することになる。
 店主スーディ・ボンド、今でも店を手伝うシェールとサンディ・デニス、石油成金と結婚したキャシー・ベイツ、些か回転が鈍そうなマルタ・ヘフリン。
 久しぶりの再会につもる話に花が咲く(という感じは実際には殆どありません・・・表現の綾と理解されたし)が、その会話の中心となるのは20年前に「ジャイアンツ」のロケ隊がこの田舎から100kmしか離れていないところにやって来ると知り、その時に出かけたメンバーのうちサンディがジミーと結ばれた話である。
 もうすぐ二十歳になるはずのその名もジミー・ディーンはその時の子供だというが、知的障害があり、その辺をぶらぶらしているだけで、結局観客の前に姿を見せない。

突然見たことのない女性カレン・ブラックが現れ、やがて彼女が唯一の男性メンバーだったジョーが性転換した姿と判明する。
 サンディの話は多分に嘘くさいので、勘の良い方ならここでジミー・ディーンがジョーとの間に出来た子供であろうと予測が付くだろう。果たしてその通りで、得てして起こるように再会の場が愛憎渦巻く真実の暴露と告白の場となってしまう。

画像

エド・グラジックの舞台劇を彼自身が映画用に脚色して、舞台版の演出を担当したオルトマン自身が映像化しているが、カメラが店から一歩も出ない、一見して舞台劇の映画化と解る作りである。不満があるとしたら余りに舞台的であるということだが、それを補って余りある優れた点が多い。

一つは、店にある鏡を現在と過去とのインターフェースとした点である。照明が変わると鏡に映った彼らが20年前の姿に早変わり、という秀逸なアイデアは恐らく舞台でも使われていたのではないかと思うが、映画ならではの素早さがある。

テーマは複合的だが、全体を支配するのは虚栄の空しさである。
 サンディを始め、夫を酒を飲まない聖人君子と言い張るスーディ、乳癌を失った乳房をゴムでつくろうシェール、成金と結婚して幸福と思い込むキャシー、といった嘘で塗り固め虚飾で長い年月を過ごしてきた人々を見せることで、人間の弱さを徹底的に暴き出す。主婦として平凡至極に正直に生きてきたマルタだけがそういう弱点を持たない人間である、といった辺りに作者の揶揄を感じるが、揶揄はともかく弱い人間を観ることは他人事にあらず、胸を切り裂かれる思いがする。
 或いは、ディーンの息子がいるという噂で栄えた街と店は今では廃墟のようになっている事実。停留した水のように変化しない街や人々は腐っていくしかないのだ。

そして、カレンの乗ってきたポルシェを駆ってジミー・ディーンがどこかに消えてしまう、という出来事は不気味な、極めて演劇的な暗示である。本物のディーンの死因が愛車ポルシェでの交通事故というのは映画ファンなら周知のはずだから、改めて説明するまでもないだろう。

演技陣は充実と言うしかない。特に、陰影のある表情で虚栄の花を演じきったサンディ・デニスは鬼気迫る瞬間があり、生涯のベスト・パフォーマンスと言えるように思うし、最近は劇場公開作では滅多にお目にかかれなくなった怖い顔、おっと失礼、70年代の名女優カレン・ブラックも熱演。

いつもとは違うタイプの群像劇で、オルトマン・ファンは勿論、テネシー・ウィリアムズ風の葛藤劇がお好きな方も一度は観ておくべきでしょう。

"映画評「わが心のジミー・ディーン」" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント