映画評「ミュンヘン」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2005年アメリカ映画 監督スティーヴン・スピルバーグ
ネタバレあり

前作「宇宙戦争」は9・11でアメリカ人の心に芽生えたテロへの恐怖と彼のアイデンティティであるユダヤ民族の<恐怖からの逃走>を描いたものとして娯楽映画以上の印象を残したが、本作は実録風に同じテーマを描き直し、補完した続編のようである。

1972年9月ミュンヘン・オリンピックの選手村でイスラエル・チームが全員パレスチナのテロリストに殺される事件(事実が異なることは後に判る)があり、僕の脳裏に強烈に残っている。数年前にこの事件の経緯を描いたドキュメンタリー「ブラック・セプテンバー」を観たのも記憶に新しい。

本作は、その事件の後をメインに描いたもので、イスラエルの秘密情報機関モサドが、5人のエキスパートを集め、事件の背後で暗躍したと見られるパレスチナの指導者11人を暗殺せよと命じる。
 リーダーとなるのが要人護衛の実績しかない(?)エリック・バナで、その他は車輌、爆弾、証拠隠滅、文書偽造の専門家(という名目)。

娯楽映画ではよくある設定であり目新しくないが、寧ろ厳しい実録タッチに注目すべきである。実録風と言っても、死体の血が流れて来るショットにおけるヒッチコック・タッチや電話をめぐる暗殺場面のサスペンス性といったフィクション的な扱いもある。いずれにせよ、緊密度や重量感はさすが娯楽映画の世界で冠たる大監督のものである。描写の客観性も評価したい。

さて、彼らはエキスパートとは言え、モサドの訓練を受けていない“素人”たちに過ぎず、最初のうちは些かドタバタするが、それが人数を重ねるうちに慣れて来るのに反比例して、追う者が追われる恐怖に脅え出すところに皮肉な味がある。家族の為に任務を引き受けた事実と、家族の為に生き続けねばならぬという思いが矛盾として浮かび上がるのである。
 <家族>が大々的に展開に絡むのは「宇宙戦争」同様スピルバーグ的であり、ドラマとして甘くなったと思われる一方で、大部分の人間の生きる理由が家族にあると思うと別の感慨も生れる。彼らはターゲット以外は殺さない立場であり、冷酷無比な殺し屋ではない“素人”なのだからそれで良いのかもしれない。

いや、正確には違う。9・11以降異様とも思えるほど多くのアメリカ映画が家族(の再生)を扱うようになった。寧ろ時代がスピルバーグ的になってきたので、彼としてはその潮流に棹をさす(=時流に乗る)形で<9・11以降>と<家族>を最も濃密に直に合体させ、かかる力作をものしたのである。
 本作における家族に関する考え方は、アメリカ人、9・11以降のアメリカ人にとっては絶対的なものなのではあるまいか? つまり、本作の主人公はイスラエル人であってもアメリカ人の総体を投影したものと思う。従って、報復の快感に酔いしれ突然醒める主人公の生き方を以ってアメリカ大衆に<報復の連鎖>の現実を示し同時に慰藉しようとした感すらある本作にそれ以上の内容的な厳しさを求めるのは、<木によって魚を求む>に等しいと言うべきであろう。

最終的に滲み出てくるのはテロ或いは戦争のない世界への思いであり、従って、最後の場面が73~75年のニューヨークの風景であるのは必然である。対岸に今はなきワールドトレードセンターのツインタワーが見えるのだが、このビルの一つが完成したのが72年、もう一つが完成したのが73年なのも不思議な因縁と思えて来る。

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