映画評「病院坂の首縊りの家」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1979年日本映画 監督・市川崑
ネタバレあり

市川崑監督=石坂浩二主演による金田一耕助シリーズ第5作(リメイクを別にすると最終作)。

舞台は昭和26年だから前作「女王蜂」より1年前である。
 今回のプロローグは異色で、何と原作者・横溝正史自身が推理小説家として出演して、アメリカへ骨休めに行くという金田一の相談相手になるのだ。金田一はパスポート用の写真を撮る為に坂の下にある写真屋を訪れるが、その時店の隠居(小沢栄太郎)から同氏が殺されかけた空きビルの調査を依頼される。
 同じ日に同地の名家・法眼家の令嬢・由香利(桜田淳子)に似た少女に出張依頼された現店主が<病院坂の首縊りの家>と呼ばれる廃屋で奇妙な結婚写真を撮る羽目になるが、翌日花婿だった男(あおい輝彦)が首だけ風鈴のように吊るされた状態の死体で発見され、金田一と警察の出番となる。

実は写真屋の事件とこの生首風鈴殺人事件は間連があるのだが、なかなか興味を惹く出だしである。

廃屋の呼称の謂れは、法眼家の前当主の愛人・山内冬子(萩尾みどり)が自殺したからで、その娘・小雪(桜田淳子)が写真屋を訪れた少女で殺された青年とは血の繋がりのない兄妹。現在の当主は弥生(佐久間良子)という人物配置で、これに弥生の亡き夫の愛人母子や被害者が所属していたジャズ・コンボのメンバーたちが絡んで来る。

相当省略して書いてもこんなに長い説明になる。これは梗概というより設定の説明なのであるからいかに複雑なお話であるか想像が付くでありましょう。小説ならそれほど感じないはずだが、前作「女王蜂」と同じく人物関係が複雑すぎて最初の三作ほど楽しめない。性能の落ちてきた我がメモリーでは追従するのに精一杯、楽しむ余裕がないのである。恐らくは多数の鑑賞者が似た印象を持つと思う。

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それはともかく、前回から加えられたマルチ画面を始めとする市川崑監督の華麗なテクニックは健在、坂道の使い方・撮り方など惚れ惚れするくらい上手い。また、電話を掛けているショットを六つ繋げて誰が誰と話しているのか解らなくするアイデアも大変面白い(下図参考)。

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配役では石坂浩二については言わずもがな。佐久間良子は豪華な本シリーズ女優陣の中でも圧巻で、楚々とした中に艶っぽさのあるたおやめぶりが見事だった。二役の桜田淳子も立派なもので、後の「お引越し」にも劣らない。

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最終作(原作の後編はシリーズ最終作である)というつもりだったのか、今回は人間・金田一に迫ってみようという狙いが見え隠れするのだが、<アメリカに骨休みに行く>という発端を含む、彼のアイデンティティに関わる行動・告白が興味深い。東北地方の貧しい家の出身でアメリカで修行をしていたなど意外でありました。彼の人間味はそうした背景が関連しているにちがいない。

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