映画評「処女の泉」

☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1960年スウェーデン映画 監督イングマル・ベルイマン
ネタバレあり

イングマル・ベルイマンは大好きな監督で、その中でも特に好きなのがこの作品である。20歳の頃に初めて観て大感激しておよそ10年後にLDを買ったが、昔の感激を裏切られるのが怖くてそれ後十数年間観ずにいた。今回将来消えていくであろうLDをDVDに移しておこうと思い立ち、その際見直すことにした次第。緊張するなあ。

13世紀の北欧、聖母マリアに遠い教会へ祈りに出かけた豪農の娘コーリン(ビルギッタ・ペテルソン)が、下男の養女インゲリ(グンネル・リンドブロム)の呪いの効果であろうか、森の中で羊飼いの三人組に手篭めにされた上に殺され身ぐるみはがれる。
 三人組はこともあろうに娘の家を訪れ、奪った衣服を売りつけようとしてし知らずに犯行を教え、結局父親(マックス・フォン・シドウ)に復讐されてしまう。復讐を遂げても信仰心との狭間で苦悩する父親だが、娘の遺骸を動かすとそこから泉が湧き出す。

参考のために昔の鑑賞記録の一部を記しておく。

<マリア様の為に祈りに出した娘が殺され、その復讐の為に人殺しをする反神行為、キリスト教徒故の苦悩、神への不信、湧き出す泉に再び起こる信仰心、といった父親の心の葛藤を中心に描いているが、非常に明快なストーリーは表面的にはキリスト教徒でなくても解る内容である。コーリンと対照的な存在として父なし子を宿しているインゲリが登場するが、森へ入れないインゲリと躊躇なく進み行くコーリンとの対比が興味深い。コーリンが森の怖さ(世間の怖さ)を全く知らないことでその処女性を表現しているのだ。
撮影、特に森の中の美しさは言葉に尽くせない。また、マックス・フォン・シドウの演技も圧巻。>

今回のLDの映像も大変素晴らしい。コントラストの強いベルイマンならではの映像(撮影監督はこの頃からの常連スヴェン・ニクヴィスト)は、どのカットも見事である。美しくて厳しく、つまらない瞬間は一秒たりとてない。
 お話はベルイマン先生の語る民話というムードがあり、何とも形容しがたい幽玄な雰囲気に包まれ圧巻である。

物語のシンプルさに対し、神を扱ったテーマは深く難しく、その核の部分までは到底理解できないが、それでもこの素晴らしい芸術ぶりは2000年以上の歴史のある文学でも容易に到達できない境地であろうと感嘆するしかない。

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