映画評「サウンド・オブ・メタル~聞こえるということ~」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2019年アメリカ映画 監督ダリウス・マーダー
ネタバレあり

アマゾン・プライムで見ようとしていたその日に、偶然にもブログ友達として長い付き合いの vivajiji さんから、お薦めのメッセージがあった。虫の知らせと言うか、以心伝心と言うか。
 音楽絡みなので注目していたが、アカデミー賞にも色々と候補になっていたとは。

ハード・ロックのバンドでドラマーをしていたルーベン(リズ・アーメッド)が突然重度の難聴に陥り、ボーカルをする恋人ルー(オリヴィア・クック)と相談して、難聴者として生きていく術を身に着ける施設に入るが、同時に、大事なトレーラーハウスを売って手にした大金で耳の中に装置を入れる手術をする。
 すぐにトレーラーを取り戻して音楽活動を再開したいと思うが、装置を通した音は高音が異様に響いてその道は遠いようである。
 言葉が聞き取れるようになったので、作曲家の父(マチュー・アマルリック)と暮らすルーを訪れるが、ここでお金を手に入れても音楽活動は再開できそうもなく、肝心のルー自身が別の生活に馴染んでしまっているようにも感じる。彼はその家を出て、マイクに相当する部分を外し、眼だけで景色を眺めてみる。

というお話で、音楽家にとって音を失うことは厳しい。しかし、映画は直接的にその苦悩を描く方向以上に、大事なトレーラーハウスを売るといった行為により間接的に描こうとする。あるいはその売り買いをめぐる彼の算段で、その音楽への愛情を感じさせる。
 しかし、機械による聴力復活は脳の錯覚に頼るものでしかなく、聴覚が復活するわけではない。その現実の残酷なこと! しかし、映画は彼のショックを多くは描かず、断ち切るように次のシーンに入っていく。寧ろそれが色々と考えさせる余韻として効果を発揮して鑑賞者の胸に響く。

映画には主観ショットというのがあるが、この映画は言わば主観音声というものを利用する。最初きちんと聞こえていたところから、正常音(客観音声)と難聴音声(主観音声)を随時使い分け、最後に装置を通した主観音声を聞かせる。映画館のでかい音で聞いたほうが良いかもしれないが、あんな不快な音をでかい音で聞いたらそれこそのけぞるのではないか(晩年の母親に中級の補聴器を買ってあげたが、高音がキンキンすると嫌がって余り使わなかったのを思い出す)。
 それはともかく、本作の最大の工夫と殊勲は、ここにある。これまでもごく部分的に主観音声を使う作品は結構あったが、文字通り主観音声という言葉を発明したくなるくらいそれを利用したのは本作が初体験。

同時に、この映画は二人の愛が主題でもあると思う。難聴者施設の経営者ジョー(ポール・レイシー)の申し出に対し、ルーと離れるなら施設での暮らしはご免蒙るといった態度や、彼の言動の繊細さに彼の愛情深さがよく現れている。施設での暮らしに束縛されてしまうと、音楽活動と同価値以上の価値があるに違いないルーとの暮しをも犠牲にしなければならない。

幕切れは案外両義的と思う。お話の流れを見ると、装置を外した彼は聾者として生きていくと理解するのが一般的だろうが、僕は必ずしもそう断定的に見ない。少なくともハッピー・エンドでもビター・エンドでもないとは思う。映画をそう二元論的に見る風潮があるが、現実の人生がそうであるように、映画をそう単純に見る時代は終わったのではないか。

何の事件も起きないという意見があった。投稿者は、ルーが他の人とバンドを作るといったようなのが“事件”と考えているようだが、耳が聞こえなくなるくらい音楽家の彼にとって大きな事件はないではないか! それ以降のことについて言っているのだとしても、施設に入ることも手術も事件である。主人公の内面に対する洞察のなさにも程がある。

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この記事へのコメント

浅野佑都
2021年10月08日 10:54
>ブログ友達として長い付き合いの vivajiji さんから、お薦めのメッセージがあった。

 はい、僕も先月vivajiji さんにお勧めしたところ、彼女は流石ですね、とっくの疾うにご覧になってました!
「プロフェッサーはもう既に観たのか‥いや、ご如才もないプロフェッサーのことだから、こちらも予定に入っているのでは?」などと思案していました(笑)
愚図愚図している浅野と違い、スッと行動に移せるところがvivajijiさんの素敵なところですな!

 僕にとってこの映画のハイライトは、主人公とコミュニティの経営者ポール・レイシーとの深すぎる問答だと・・。
自身も役柄と同じくベトナム帰還兵で、ろう者の両親を持つ身であるというレイシーの佇まいにヤラレました。
あれこそきっと、神との対話でありましょう・・。

>幕切れは案外両義的

僕もそう感じました。
人が音楽を聴き続ける限り忘れ去られぬ名曲『エリーゼのために』をささげた婚約者と破局し、追い打ちをかけるように聴力も失ったベートーヴェンが、深い絶望の後に作曲したのが、あの「第九」ですからね!
vivajiji
2021年10月08日 13:46
ご覧になりましたね。^^
苦しんでいる彼の世界の外側は
着々と様変わりしていて・・・
トレーラーの中、彼と同衾しているとき、
さかんに腕の皮膚を掻いているルー。
久しぶりの再会、二人の仲のかすかな変化と
淡い希望、でもまた肌を掻き始めるルーの姿に
気づいた主人公。この描写、うなりました。

経営者ジョーの毅然とした態度、たとえ数分の場面でも
不必要な胡散臭ささ全開のアマルリックなど各シーン
じっくり鑑賞に耐える得る良き映画と感じました。

>内面に対する洞察のなさにも程がある
 はいっ、座布団10枚!!(^^)
オカピー
2021年10月08日 21:40
浅野佑都さん、こんにちは。

>こちらも予定に入っているのでは?

タイトルからヘヴィ・メタルの音楽がもっと出て来るかと思って、気づいてからそれなりに時間がかかって今いましたんですが、予定には入れていました。
尤も、彼らはハード・ロックですが、俗に言うヘヴィ・メタルではないですね。ヘヴィ・メタルの定義も結構曖昧なので、そのままにしておきますが。

>あれこそきっと、神との対話でありましょう・・。

ポール・レイシー演ずるジョーは、主人公にとって、ある意味悪魔的でもありますね。音楽と恋人の許に戻りたいのに、彼の言う生活も非常に意義のあるものに感じていったでしょうから。

>聴力も失ったベートーヴェン

この映画を見ていれば、間違いなく、ベートーヴェンに思いを馳せますよね!
オカピー
2021年10月08日 21:50
vivajijiさん、こんにちは。

>ご覧になりましたね。^^

はい。なかなか繊細な映画でして、内容に応じた、微に入り細を穿つ書き方が出来ませんでしたが。

>腕の皮膚を掻いているルー

あれは、恋人に対する一種の不満を我知らず表す行為でしょうか?

>経営者ジョーの毅然とした態度

変な同情がないところが凄かったですね。

>不必要な胡散臭ささ全開のアマルリック

ひと目で名前が解ったのはこの人くらい(笑)
2021年10月15日 05:41
<映画をそう単純に見る時代は終わったのではないか。

深いですね!


ポール・レイシーがアカデミー助演男優賞候補になったのが
うれしかったです。
司会が彼を絶賛した時、彼は手話なんでしょうか、自分の胸
に腕をトントンと当て、感謝を示していたのが印象的でした。
個人的には彼にオスカーを獲得してもらい、その挨拶を聞き
たかった...
オカピー
2021年10月15日 21:33
onscreenさん、こんにちは。

>アカデミー助演男優賞候補

ノミネート時日本で公開されていない作品が多い為、最近は候補にも予想にも興味を失っていますが、そこまで評判になった作品とは知らずに観ました。
確か二音響の扱いには瞠目させられましたし、演技陣も充実していましたね。