映画評「スペシャルアクターズ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・上田慎一郎
ネタバレあり

カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督の作品で、集団が一つのことに向けて何かをやるという共通点ががある。しかも演劇・映画周辺という設定も共通。

緊張すると倒れてしまう役者志願の青年・大澤数人が、依頼者の為にお話を考えて役者を投入することで案件を解決するという特殊な仕事もこなしている劇団に所属する弟・河野宏紀と再会、家賃も払えない現状から、嫌々参加してみる。
 やがて、姉が自身が女将を務める旅館を宗教的な詐欺集団に譲渡しようとしているのを防いでくれと、女子高生から依頼が舞い込んでくる。役者が信者に加わり存在が判明した幹部用マニュアルと、旅館の幽霊話との二本立てで追い出そうとする。
 かくして旅館譲渡を未然に防ぐことに成功した彼らは、和人君をヒーロー仕立てにして旅館で行われる集会で暴れ回らせる。

というのが大体のお話。しかし、本作では映画評より文化論を展開してみたいと思う。

本作の仕立ては「スティング」(1973年)と「ゲーム」(1997年)から借用したと思って間違いない。だから、「スティング」以降のコン・ゲーム映画を観ている観客には、途中に色々と出て来るピンチも実はピンチでないと想像がついてしまうわけで、それほど面白いとは思えない。
 ところが、映画経験の薄い若者にはかなり面白く感じられる可能性がある。どの作品でもそうだが、とりわけ本作のようなタイプは経験差が大きく左右すると言って良いだろう。以上が一応の映画評である。

さて、【Yahoo!映画】の初めほうでパクリ論を展開している投稿者は大いなる勘違いをしている。
 まず一つ。映画に限らず、有名な作品から取り込んだものはパクリとは言えない。パクリというのは無名や未発表の作品を、有名になりたかったりヒットさせたりしたい人がこっそり戴いてしまうことを言う。こっそりでないものがどうしてパクリであろう。
 その点では彼の言うオマージュという言い方は成立つが、多分上田慎一郎はオマージュを捧げているのでもないと思う。こういうのを僕は学習と呼ぶ。後の人が先人の業績を利用するのはご本人がオマージュと言おうと、実は学習の発表である。
 その二。その結果が上手く行けばオマージュで、失敗に帰したらパクリ・・・などというのも全くデタラメな定義である。オマージュやパクリは(前者は作者の、後者は観客の)意識・認識の問題であって、失敗してもオマージュ(表敬)は観客ではなく作者の表敬の意識であるから、観客がどう思おうとオマージュはオマージュである。
 僕がHPに書いたかなり特殊な内容(フランス映画「花のようなエレ」におけるビートルズの楽曲「へルター・スケルター」が滝の音に紛れて解らないようにこっそり使われていた件。これは僕とかの映画の音楽担当くらいしか知らないと思う。あの映画を観た人が少ないこと。あの映画を観た人が「へルター・スケルター」を知っている確率がかなり低いこと。さらにサブリミナルに使われていることからの確率論)を、見知らぬ人がほぼそのままの内容で使っているのを偶然発見したが、僕は嬉しかったですよ。
 余程著者の所得に影響を与える悪質な場合を除いて作者もパクリなどと騒がない方が知的である。

欧米の人はこういう問題に寛容な人が多いが、チャック・ベリーは珍しく神経質だった。「サーフィンUSA」でビーチ・ボーイズを、「カム・トゥゲザー」でビートルズ(ジョン・レノン)に文句をつけ、成果を得た。

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