映画評「乳房よ永遠なれ」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1955年日本映画 監督・田中絹代
ネタバレあり

田中絹代監督第3作は、夭折した女流歌人・中城ふみ子の後半生を綴った伝記映画の類。主人公以下もじった名前に変えられているので、僕は類とする。原作は若月彰のルポルタージュ。

北海道。碌に仕事もしていないらしい見合い結婚の夫と不仲である主婦・下城ふみ子(月丘夢路)は、自分の息子の通う小学校の教師であり女学校時代からの友人きぬ子(杉葉子)の夫・堀卓(森雅之)が主催する短歌会に参加する。彼女は(多分友人との結婚以前から)堀に慕情を寄せているが、病弱な彼はやがて亡くなる。
 離婚が決まって息子を夫が、娘を自分が引き取ると共に、思いを訴える和歌が冴えを見せ、堀が生前短歌誌に送っていた50首の歌が認められ、一躍注目の人となる。しかるに、普段から胸の痛みを感じていた彼女は、歌集を発表する頃に乳癌を肺にも転移させてい、先が長くないと周囲に理解されるようになる。
 彼女を担当する東京の記者・大月章(葉山良二)の訪問も歓迎しなかった彼女も、やがて彼の誠実さを認め、愛するようになる。

中条ふみ子が亡くなったのが1954年8月で、本作が公開されたのは翌年11月だから “際もの” である。 実際の中城ふみ子は恋多き女性だったようで、 本作全体のイメージとは少し異なる。
 本作では、前半ヒロインは子供を愛する為他の女性と腐れ縁を続けるぐうたら夫に堪える家庭女性という役柄で、ホームドラマ的に推移する。しかし、発病して入院してからは、弟(大坂志郎)の言うように、子供に退行し、我儘であったり意地を張ったり捨て鉢になったりする様子を見せ、やがて記者への愛に目覚める。
 言わば、映画は前半のホームドラマから後半ロマンスへ転換する。

実際は亡くなる大分前から病気を察していたようであるし、投稿が認められ歌集が出るまで時間がかかったようである(Wikipediaによる)が、映画では子供の成長具合を考えると、短期間で為されている。
 結果的に、もっとあってしかるべきであったドラマとしての重みを些か欠く印象が否めないが、女性が自分の考えを言動で主張するという内容は。形だけではない本当のフェミニズムを非常によく表現している。極めて男尊女卑的な「月は上りぬ」とは正反対でその辺の印象が非常に良い。田中澄江という実力者が脚本を担当した成果である。

しかし、それ以上に素晴らしいのが、監督・田中絹代が随所に発揮する映像に対する優れた感性だ。「月は上りぬ」では小津手法に縛られて殆ど彼女独自の感覚は発揮されなかった形(それはそれで面白かった)だが、本作では横の構図・縦の構図を意識したところが多く、移動撮影も少なくない。
 ヒロインが病棟から霊安室へ向かう縦の構図を強く意識した箇所など鬼気迫るものがある。生前は病棟と霊安室との境にある格子に向って彼女がやって来、死後は奥にある格子に去っていく。サイレント映画的とも言いたくなる迫力ある見せ方ではあるまいか?
 画面のフレームではない別のフレームの意識が強い見せ方もする。風呂場の窓から彼女が見えるショットもそれ単独では何ということはないが、別のシーンでフレームを意識させていた為、窓枠が非常に面白い効果を出すのである。
 終盤ベッドの下から(アルフレッド・ヒッチコックが「下宿人」で天井を透明化したようにベッドを透明化して)撮るのはちょっとやり過ぎと思うが、田中絹代が単にお話重視の女性監督ではなかった・・・ということがこの見せ方でよく解る。

ウィキペディアにおけるこの映画に関する項目では、最後に出て来る湖が支笏湖とされているが、生前のヒロインが親友との話で出て来たのは洞爺湖である。洞爺湖でないと文脈上おかしい。

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