映画評「ユンボギの日記」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・大島渚
ネタバレあり

プライムビデオの大島渚作品はほぼ全て期限が終了してしまったが、この25分の短編ドキュメンタリー(厳密には映像詩と言うべきか?)は残っている。

イ・ユンボギという韓国に実在した少年の作文的な日記がベース。大島渚が韓国で撮ったスティル写真に、その文章を日本語で日本の声優(「鉄腕アトム」の声を当てた清水マリに似ている。同じことをアマゾンに指摘する投稿がある)にナラタージュのように読ませて重ね、その合間に小松方正が読む一種の詩を挿入して構成している。

大島渚は、ちょうど漢江の奇跡が起こる直前くらいに訪れた韓国で、母親に捨てられ病気で動けない父親の代りに8歳の妹と共に生活費を稼ぐ赤貧洗うが如しの10歳の少年ユンボギのような、そんな少年男女を写真に収めている。終戦直後に日本にもいた戦災孤児と類似する状態の子供たちで、日本から解放されて20年近く経ってもまだ韓国はそんな惨状であった。
 間接的に責任大である日本が韓国を支援し、結果的に漢江の奇跡が起き、現在の経済発展のベースになったのがこの時代である。

イ・ユンボギという当時の少年(1990年に死去)の書いた日記も素朴で胸を打つものがあり、大島渚の詩もリフレインを多用して力強い。映像はスティル写真のみだが、これらの語りとともに内藤孝敏の哀愁漂う背景音楽が素敵で、それらのアンサンブルで頗る魅力的な写真(映画のことだが、文字通り本作自体が写真によるコラージュ)になった。
 後半になって政治思想に類する些か散文的な言葉がちらほら出て来るのは余り感心しないが、そこに拘り過ぎてもつまらない。しかるに、大島のそういう思いが自然に浮かび上がるような作りになっていれば、もっと素晴らしい作品になっただろう。

「イムジン河」のオリジナルの歌詞に、繫栄する北(朝鮮)と再び一体になりたい、というところがあるらしい。当時韓国人は北は繁栄していると思い込んでいたのだ。それは全くの迷信だったが、そのくらい韓国は貧しい国だったのだ。

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この記事へのコメント

モカ
2021年04月27日 14:23
こんにちは。

>内藤孝敏 
 初めて聞く名前ですが、意識して聞いているとナルシソ・イエペスの「ロマンス」風に聞こえてきました。

>イムジン河
 懐かしいです。当時ラジオから流れていたのを録音しました。
 松山猛によると伝承歌のようで色んなバージョンの歌詞があるようです。
 北より南のほうが貧しい。これは私の時は教科書にもそう書かれていました。北は資源が豊富だから豊かで、資源に乏しい南は貧しいと文部省検定教科書に書かれていましたよ。
 うむ・・・日教組の圧力があったとか?

貧しい時代の子供の作文といえば日本には同時期に「つづり方兄妹」がありました。 確か映画にもなりましたね。
妹だったか?が亡くなって埋めるところでは泣きました。

大島渚に大江健三郎、岡林信康といえば60年代末の左翼かぶれ少年の3大教祖様でしたよ。プラス ゴダールで最強! (笑)

 
オカピー
2021年04月28日 11:59
モカさん、こんにちは。

>>内藤孝敏 
>ナルシソ・イエペスの「ロマンス」風に聞こえてきました。

僕も知りませんでしたが、知っているような顔をして名前を紹介しました^^
日本人は哀愁溢れる音楽が大好き。「太陽がいっぱい」が外国より高めに評価されるのもあの主題曲のおかげかもしれませんね。

>>イムジン河
>懐かしいです。当時ラジオから流れていたのを録音しました。

僕も小学生中学年ながら憶えています。歌えるくらいに聞いたのに、その後放送されなくなり不思議に思いましたが、後年その理由をある程度知ることが出来てすっきりしましたよ。

上の太字を記すに当たり僕が勘違いしていたのは、この曲が北朝鮮側の歌であること。だから、“北と一体になりたい”ではなく、“南よ北と一体になれ”ということですね。
 当時の韓国が極貧の国であったことは間違いないわけですが。

>「つづり方兄妹」

これは観ていないと思うのですが、この作品に出ている香川京子が出演した作品に「おかあさん」というのがあり、あの作品にも兄弟の死があり、作文のような文章で締めくくられた記憶があります。

>大島渚に大江健三郎、岡林信康といえば60年代末の左翼かぶれ少年の3大教祖

そんな感じは確かにありますね。先日観た「飼育」は大江の同名小説を大島渚が映画化でしたし。大江の凝視的な原作よりぐっと主張的な作品に変えられていたのが大島渚らしいですが。