映画評「15年後のラブソング」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年アメリカ=イギリス合作映画 監督ジェシー・ペレッツ
ネタバレあり

音楽マニアを主人公にした「ハイ・フィデリティー」を書いたニック・ホーンビーの小説が原作。一人の消息不明のシンガーソングライター(ロック系)に夢中になっている男が出て来る辺り本作との共通性を感じる。

ロンドンに程近い港町サンドクリフ。25年前に失恋のショックで姿をくらましたと噂される米国のシンガーソングライター、タッカー・クロウ(イーサン・ホーク)を追いかけ、彼をめぐるネットのサークルを主導している大学講師ダンカン(クリス・オダウド)の元にデモ・テープが届く。彼の内妻アニー(ローズ・バーン)が先に聴いただけでなく、厳しい評価を下したものだから、ダンカンは怒る。彼女は子供を作るのを拒否され続けた15年間の恨みもあって彼を家から追い出してしまう。
 ところが、この酷評に同調したのが当のタッカーで、これをきっかけにアニーとタッカーのメール交換が始まる。ロンドンにいる彼の娘リジー(アユーラ・スマート)に子供が出来たものだからご機嫌伺いに来るタッカーと会うことにするが、ロンドンに連れて来た一番最後の子供ジャクソン(アジー・ロバートスン)の他に、3人の妻たちとの間に4人ほど子供がい、心臓発作を起こしたタッカーが担ぎ込まれた病院にその一部が集まって賑やかなことになる。
 彼女が館長を務める小博物館での展示会にタッカーも出席、思わず歌を披露することになってしまう。元妻や子供たちに恨まれ反省しつつも自由に生きて来た彼との交流を経てアニーもダンカンも思うところがあるが、結局彼女はロンドンで新たな生活を始め、一年ぶりに娘と孫に会いにロンドンを訪れたタッカーに会いに行く。

全体の展開ぶりに運命論に傾かないアメリカ映画らしさを持ちながら、英国人作家の小説が原作で、主たる舞台が英国と言うこともあって、両義的な解釈が可能な微温的な幕切れなど英国的な感覚のほうが色濃い。
 その幕切れについて。家を構えて私小説的な新作を25年ぶりに発表したタッカーに、彼女は “子供を作る準備を初め、クリニックに通っている” というメールを送っている。子供を作る準備というのが明快でない。彼女は女癖が悪いながらも存外内省的で改心したらしいタッカーに悪い気はしていないはずなのだが、彼が娘と孫に会いに来た事実を踏まえれば、旧交を温めるだけという解釈も成り立たないではなく両義的。他方、タッカーがそれを名目にして来英した可能性もあるわけで、画面を見る限り二人は結ばれると解釈するのが正しい気がするが。

いずれにしても、この手のオーソドックスな構えの恋愛劇ではもっと明快に解釈できるものを望みたくなるのが凡人の人情。僕は音楽絡みの映画には甘くなる傾向があるが、そんなわけで本作にはちと厳しく行くのでござる。

因みに、イーサン・ホークのタッカー・クロウが博物館で披露するのは、偶然にも鑑賞前日YouTubeで聴いたばかりのザ・キンクスの名曲「ウォータールー・サンセット」。英国四大バンド(と言われる)中で日本では今一つ人気のないキンクスだが、中期(60年代後半~70年代初期)に名盤が多く、僕は大体全部持っているのだ。えっへん!

ラブソングを歌うのはタッカーで、15年という数字はヒロインに関わるもの。形容するものが合わないので、どうもこの邦題はしっくり来ない。尤もラブソングの後に来る動詞によって合うか合わないかは変わるので、これも両義的と言っておきましょうか。

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