映画評「ある船頭の話」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年日本映画 監督オダギリジョー
ネタバレあり

この間観たグルジア映画「とうもろこしの島」で老人と孫娘がいかだで川を横切るのを観たばかりだが、本作でも似たような絵柄が見られる。水難と放火の違いはあるが、小屋を失う幕切れも似ている。
 そう言えば、この作品にはどこか中央アジアの薫りが漂う。監督は初メガフォンの男優オダギリジョー。

恐らくは明治30年代から40年代くらいの山村が舞台で、主人公は様々な客を乗せる渡し船の老船頭トイチ(柄本明)。近くで橋が建設されている。いずれ仕事を失う運命である。彼と親しい若者源三(村上虹郎)はイライラして橋を壊してしまおうかなどと息巻いている。
 ある時老人は船に物が衝突したのに気付き、よく見ると少女(川島鈴遥)である。拾い上げた少女は暫く口を利かないが、やがてふうと名乗る。どうも近所の村で起きた殺人事件と関係ある模様だが、自分など意味のない存在と割り切っている老人はそんなことにはどうでもよい。
 数年後すっかり老いたトイチは完成した橋を通って信頼する町医者(橋爪功)に診てもらう。家に帰ってみると、おふうが襲ってきた源三を切り殺して自失している状態。船頭は彼女を落ち着かせて連れ出し、小屋に火を放つと、船を漕いで二人で村を去っていく。

主題は諸行無常。しかし、自ら脚本を書いたオダギリジョーは、それに対し仏経的に達観するのではなく、物質文明への批判を試みる。諸行無常を端的に表すのが素朴な若者源三の橋完成後の性格の変化だ。この映画でも特に重要な部分と思われるわけで、前半ののんびりした展開に反するこの部分を批判している人は作者の狙いが全く解っていない。

ともかく、朴訥とした印象なので、神話というよりは寓話的な印象が強い。香港映画でお馴染みだった撮影監督クリストファー・ドイルが映し出す林間地帯の情景が頗る美しく、(できれば大きなスクリーンで)話を追わずに、いまはなかなか見られなくなった景物を眺めるのに良い映画である。

全体としては悠然とした大陸的な撮り方だが、一か所だけ建設関係者に侮蔑された後に見る幻影が、塚本晋也ばりの激しい動きのモノクロ画面になっているのは少々気に入らない。老人の怒りは解るが、全体の調子を考えるとなくもがな。既述したお話の変化への批判に関する愚見と矛盾するように思われるだろうが、最初の鑑賞者の批判は彼の趣味に反するだけであって映画的な問題ではなく、こちらは映画論的に若干問題なのである。次元が違う。お解りになりましょうか?

ちょっとだけ文句はつけたものの、嫌いな作品ではない。オダギリジョーの初メガフォンは及第点と思う。

今日2年ぶりの本式高校野球始まる。地元の高校も出る。楽しみだ。

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