映画評「長屋紳士録」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1947年日本映画 監督・小津安二郎
ネタバレあり

小津安二郎の戦後第一作は、戦前の“喜八もの”の系列上にあるものである。“喜八もの”ではないが、喜八(坂本武)が実際に出て来る。我が家のライブラリーより状態が良いにちがいないと信じ、プライムビデオで久しぶりに観る。

戦後二年目くらいの東京が舞台。占い師田代(笠智衆)が戦災孤児と思しき幸平少年(青木放屁)を長屋に連れて来るが、頼みの同居人・為吉(河村黎吉)からすげなく断られ、仕方なく隣の住人の老未亡人おたね(飯田蝶子)に頼み込む。少年が茅ヶ崎から父親とやって来たことが判明、おたねがこれまた半強制的(詐欺まがいのくじ引き、この趣向をめぐる当事者の会話が面白い)により引き取ってくれる家を探しに出され、芳しい結果を得られない。
 結局暫く置くことになるが、寝小便はするわ、愛想がないわで、歓迎できないでいるうち、幼馴染きく女(吉川満子)に意見されると、いつの間にか母性が芽生え、少年が自分の子供のように思えて来る。動物園へ連れて行ったり、家族写真を撮ったり、小学校にも通わせようと考える。
 丁度そこへ父親(小沢栄太郎)が現れ、引き取ってゆく。おたねは涙を流す。悲しみの涙ではなく、喜びの涙である。

“喜八もの” での飯田蝶子は、一見冷たく厳しく非人情ながら実は人間的と言うべき女性に扮することが多かったと記憶するが、本作でもその流れに沿って実に素敵な老女ぶりを披露している(当時50歳くらいだが、あの時代の感覚では現在の70代くらいに相当するだろう)。
 それが一番よく実感されるのが、幸平少年がきく女に貰った十円で三角くじを買わせるがハズレて怒った後、お金は彼のものであると自分の財布から十円を渡す、という場面。ただ優しいだけではない人間味が非常に魅力だ。

少年は戦災孤児ではないものの、戦災孤児に溢れていたはずの、当時の社会が間接的にしかし巧みに描出されているように思う。

技法的には、おたねが少年を置いていこうとする茅ヶ崎の場面が前半にあり、いなくなった少年をおたねが東京の町に探す場面が後半に対照的に置かれるのが見事。小津らしい端正な配置でござる。

長屋ものは大体江戸時代が舞台。昭和は珍しい。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

モカ
2021年02月26日 16:27
こんにちは。

小津は「生まれてはみたけれど」とか本作のような子供が出てくるものが好きです。 嫁入り前の娘と父親の話はどうも苦手です。
飯田蝶子といえば、子供の頃は漫才のネタにされるほど怖い婆さんの代名詞でした。 ああいう着物姿のおばあさんはその後10年から20年くらいの間に見られなくなってしまいましたが、モカも可愛い赤ちゃんだった頃、まさにあんな着物姿の祖母に抱かれた写真が残っています。
 
お話も長屋人情物で面白いですが、今観ると昔の風俗の記録としても貴重ですね。 広い空き地でシンシバリ(もはや死語なのか一発では漢字変換できません)して刷毛で糊付けしていたり。  「伸子張り」 オカピー先生はご存知ですか? 
小津映画のお約束の「柱時計がボーン」もあって一日が今より長かったような気がします。

 まるで犬か猫の仔でも拾ってきたみたいな子供の扱いに今の人は「何で警察に連れていかへんねん?」と思うかもしれませんね。
10歳くらい年上の知り合いで(もう亡くなりましたが)戦後のどさくさ期に迷子になって、結局中学卒業まで孤児院で育ったという人がいました。 おぼろげな記憶を頼りに生家を探したらなんと四国だったとか・・分かった頃には親はなしで・・そんな時代だったんですね。そういえばグーグルマップで生家を探すインドの映画がありました。 




オカピー
2021年02月26日 22:33
モカさん、こんにちは。

>モカも可愛い赤ちゃんだった頃、まさにあんな着物姿の祖母に抱かれた写真が残っています。

母方の祖母は、僕が小学中学年の昭和43年に亡くなるまでついぞ洋服を着ませんでしたよ。

>「伸子張り」 オカピー先生はご存知ですか? 

僕は若いので(笑)、知らなかったです。昔の小説などに出てきますか?

>まるで犬か猫の仔でも拾ってきたみたいな子供の扱いに今の人は「何で警察に連れていかへんねん?」と思うかもしれませんね。

物凄い数の戦災孤児の類がいたはずですから、警察より自分でという人が多かったでしょう。「この世界の片隅に」の幕切れも孤児を連れて帰ってきましたね。

>生家を探したらなんと四国だったとか・・分かった頃には親はなしで・・

凄い話ですねえ。確か「蜂の巣の子供たち」という戦争直後の映画にそんな話が出てきますよ。

>そういえばグーグルマップで生家を探すインドの映画がありました。 

ありました。題名が出てきません^^;
モカ
2021年02月27日 21:20
こんばんは。

>悲しみの涙ではなく、喜びの涙である。

 確かにおたねさんも「案外いい父親で良かったから泣いている」と言ってましたけど、良かったと思う反面、養子にしようかと思ったくらいなのでやはり寂しくもあったんだと思います。
 情がうつるってやつですよ。
 だから見ているこちらもついもらい泣きしてしまう・・・

寂しそうなので周りから「上野の西郷さんのあたりで子供を探してきたら?」と言われたおたねさんが「西郷さんねぇ・・」と言ってから実際の西郷さんの像周辺の映像で終わりますが、あのたむろしている子供たちの映像は多分実写でしょうね。

以前、戦災孤児のドキュメントを見ましたが、国はGHQの指導で1946年くらいから戦災孤児の保護に乗り出したようです。
栄養失調で死んでしまったり、目が見えなくなったり、鉄道自殺する子供もいたり胸が締め付けられるようでした。
保護といってもこの映画の人達のように優しいわけじゃないから、保護されたくない子供は逃げるんですが、そんな場合はまるで昔の野犬狩りさながだったようです。
アメリカは無差別空爆で民間人を大量虐殺したのでその結果孤児になった子供に街中をウロウロされたら批判の矛先がいつ自分たちに向くかもわからないし、目障りだったんじゃないかと思います。
実際は日本人にはそんな気力もほぼなかったんでしょうけどね。個人単位ではあっても国は Occupied Japan でしたからね。

 あのぼうやはGHQにDDTを振りかけてもらってなかったのか虱をわかせてましたね。もぞもぞする仕草がリアルでした。

 伸子張り
 喜八さんの家のガラス戸に「京洗い、染」と書いてあったので家業は悉皆屋さんですね。花柳界系のきく女さんが喜八さんに何か頼んでいましたが、多分着物の仕立て直しか何かでしょう。
 その後の場面(多分40分頃)外で奥さんと長い反物を吊るして刷毛で糊付けしていましたがあれが伸子張りです。
 小説に出てきたどうかは知りませんし(川端の古都とかには出てきそうです)話せば長くなるのですが、新品の着物を売るのは呉服屋でそれ以外の着物のアフターサービスを引き受けたのが悉皆屋さんです。
着物は染め直したり仕立て直したりしてリサイクルしていたので都度都度解いて繋いであのように伸子張りにしてくたびれた布を生き返らせるのです。
それでも着物にできなくなれば次は布団、さらには座布団になったり暖簾や前掛けになったり。
おたねさんがいい布団に寝小便されて怒ってましたけどあの布団も柄が一様ではなくて継いでましたね。

オカピー
2021年02月28日 17:25
モカさん、こんにちは。

>やはり寂しくもあったんだと思います。

そう、あの言葉は強がりでもあったのでしょうね。

>国はGHQの指導で1946年くらいから戦災孤児の保護に乗り出したようです
>孤児になった子供に街中をウロウロされたら批判の矛先がいつ自分たちに
>向くかもわからないし、目障りだったんじゃないかと思います。

恐らく。
そして、日本は未だにGHQの影響下から抜け出せない感じがします。それに類することを言う右派にこそ影響下にある人が多いのですけどね(笑)。

>その後の場面(多分40分頃)外で奥さんと長い反物を吊るして
>刷毛で糊付けしていましたがあれが伸子張りです。

40分頃を観ましたら確かに出てきました。
画面で見ると実に解りやすい。助かりましたm(__)m

>悉皆屋

そう言えば、何年か前に舟橋聖一の小説「悉皆屋康吉」を読んだと思いますが、それに伸子張りが出て来たかもしれませんねえ。いい加減に読んでいるからすぐに忘れる(笑)
モカ
2021年02月28日 22:46
こんばんは。

>舟橋聖一の小説「悉皆屋康吉」

 読んでみたいです。

一つ訂正です。 飯田蝶子は怖いおばあさんの代名詞ではなかった気がしてきました。 どちらかというとお人良しの下町のおばあさん役でテレビのコメディに出ていらしたような気がします。
 飯田蝶子様 謹んでお詫びいたします。

初見の時には気づかなかったのですが今回しっかり見直しましたら、これはちょっと不思議な映画だと思いました。
戦後2年にしては殺伐とした空気がまったくないですね。
布団を干していた空き地も元々が空き地なのか焼け跡なのか?
茅ヶ崎から帰ってきて列車がすし詰めで窓から乗ったといってましたけど良い着物に着替えて出かけてましたし。買い出しでごった返していた頃ならまだモンペ姿のほうが自然な気がします。
皆手元に残った着物を持って農家で食料に替えていた時代ですよ。
世界に誇る小津安二郎ですから何かしら思いがあったんでしょうか・・・
あの少年が笠智衆に拾われたのが九段の神社あたりという事は靖国神社で、行方不明になった時も九段でまた見つかってました。
そしてラストでわざわざ戦災孤児とは言わずに西郷さんの銅像辺りの子供と言ってました。これって明治以降の富国強兵の行きついた先を批判しているのかな?と思ったり・・・
それともGHQの検閲を意識していたんでしょうか?
オカピー
2021年03月01日 16:58
モカさん、こんにちは。

>どちらかというとお人良しの下町のおばあさん役で

そう言えば、加山雄三の「若大将」シリーズでも、そんな役でした。東京オリンピックの前に英語を学ぼうとしているなんて場面もあったような気がします。

>戦後2年にしては殺伐とした空気がまったくないですね。

戦前は結構リアリズムの部分もあった小津は、戦後リアリズムはかなり取り去り、様式に向ったのだと思います。
 本作は、現実の厳しい部分を反映させながらも、市井ファンタジーとして作った感がしないでもないです。

>明治以降の富国強兵の行きついた先を批判しているのかな?

社会派の作家ではありませんが、軍の報道部映画班一員として戦争に加わった時に何か思うところはあったかもしれません。

>それともGHQの検閲を意識していたんでしょうか?

言葉に関しては、あるいは市民からの批判を怖れていたであろうGHQを意識した可能性はありますね。GHQは“合戦”という言葉すら禁じたわけですから。
浅野佑都
2021年03月01日 18:08
 飯田蝶子と小津のコンビですと、この作品より戦前の「一人息子」のほうが好きな僕ですが、喜八物の本作を観返すと、つくづく、小津は喜劇作家だなあと感じますねぇ・・。
青木放屁の芸名が、いささかおふざけの度が過ぎて感心しない子役への演技指導も含めて、チャップリンの「キッド」と比べても上手さが際立っている・・。

>(モカさんの)戦後2年にしては殺伐とした空気がまったくないですね

これは、やはり小津が、あえてそう撮ったのじゃないかと・・。
食糧事情においては、少年の父親役の小沢栄太郎の土産が芋であったことでもわかるように戦争中よりも困窮を極めていましたし、治安も悪く、都会では、所謂第三国人の愚連隊が大手を振っていた時代で、日本人は、市民はもちろん、武装解除(学校の剣道すら御法度)されていた警察さえも落花狼藉を働く彼らに見て見ぬ振りでした・・。
世相としては限りなく暗かったはずですね。その中でも、人々は「戦争当時よりはましだ」と、復興への灯火を胸に抱いていたでしょう。

アニメ「この世界の片隅に」でも、ヒロインの嫁ぎ先の姑が、(戦火が広がる前のキナ臭い時代を振り返って)「大事(おおごと)になると思っとった‥大事に思えた時代が懐かしいわ」と、吐露しています。

そんな市井の人々をありていに言えば小津は、喜劇で勇気づけたかったと思いますが、プロフェッサー、いかがでしょうか?

>西郷さんの銅像

うーん、どうでしょう・・僕はただ、上野公園に浮浪児(戦災孤児という現代風な呼び方よりもピッタリ来ますね)が多かったからなのかな?と、割と単純に思いマシたが、はて?小津ならありうるか。
オカピー
2021年03月02日 17:49
浅野佑都さん、こんにちは。

>青木放屁

突貫小僧こと青木富夫(1923年生まれ)の、年の離れた弟ですね。突貫小僧も凄い芸名ですけど。良くも悪しくものんびりとした時代でした。

>これは、やはり小津が、あえてそう撮ったのじゃないかと・・。
>そんな市井の人々をありていに言えば小津は、喜劇で勇気づけたかったと思いますが、

当時は左翼系のイデオロギー映画が多く、自分の映画観に関して頑固なところがあったであろう小津が、そうした映画の深刻ぶりとは対照的な映画を作ろうとしたのか?という、映画史的アングルからの見方もあろうかと思います。

>割と単純に思いマシたが、はて?小津ならありうるか。

映像には拘りがある小津が、台詞にどこまで拘りがあったのか僕は掴みかねています(繰り返しが多いのはつとに有名ですが)。
 浅野さんの仰るように現実を反映しただけの台詞なのか、モカさんの頭を過ぎったように権力(GHQ)を多少意識したのか。いずれにしても、当時の言葉としては確かに戦災孤児ではぴんと来ず、“浮浪児”でしょうが、さすがにその言葉は使えなかった?