映画評「私はあなたのニグロではない」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2016年アメリカ=フランス=ベルギー=スイス合作映画 監督ラウール・ペック
ネタバレあり

リチャード・ライトと並んでアメリカ黒人作家の二巨頭と考えるジェームズ・ゴールドウィン(1924-1987)の「もう一つの国」は百科事典索引をベースにした僕の読書予定リストに入っているが、今年も読めそうもない。

本作は、そのボールドウィンの書きかけの著作 “Remember This House" を基に黒人差別と闘った人々を扱い、ボールドウィン本人も多く登場する。
 2016年製作だから現在のBLM運動とは関係ないが、基礎には全く同じ黒人の怒りがあり、そこに監督者ラウール・ペックが半世紀前にゴールドウィンが訴えようとした黒人差別の問題を取り上げようとした狙いがある。つまり、黒人の大統領が生れた後の今のアメリカ社会は、公民権運動が繰り広げられた50年前と変わっているようで何にも変わっていないではないか、という訴えである。

映画はボールドウィンが著書の中で触れた、三人のタイプの違う公民権運動家即ちメドガー・エヴァーズ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)、マルコムXについて、暗殺された順に、ほぼ紀伝体式に綴っていく。折に触れ随時現在の差別絡みの映像が挿入され、テーマを明確にする。

ボールドウィンは「悪魔が映画を作った」という随想集をものしていて、恐らくそこからの文言も引用されているのではないかと思うが、シドニー・ポワチエの映画が黒人の立場を正しく紹介していない例として多く紹介されている。特に、「手錠のまゝの脱獄」(1958年)と「招かれざる客」(1967年)が白人の為の映画として手厳しく批判される。
 最初に紹介される「レーズン・イン・ザ・サン」(1961年、日本劇場未公開)は夭折した黒人女性作家ロレイン・ハンズベリーの原作・脚本につき、批判の対象ではなく、寧ろ作者の人生が少し綴られる。「夜の大捜査線」(1967年)は割合好意的に紹介されていた気がする。一般的に、黒人側からポワチエは白人にしっぽを振った犬のように語られることが多い。

あるいは、ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパー、ドリス・デイの映画は白人が作り上げた理想的なアメリカ社会を描いたものとも言われる。その通りと僕も想像する(アメリカに住んでいないので “思う” とも言えない)が、愚かな人間の歴史を考える上でそういう存在があっても良く、なかったように蓋をすることこそいけない。
 事実と違うから或いはマイノリティの扱いがひどいから価値がないと考え、それら自体を排除しようとするポリティカル・コレクトネスの考えは余りに極端かつ狭量で、賛同できない。寧ろ、事実とは違う映画などをもって、ボールドウィンが何故白人が差別をするのかと考えたことを知るよすがとしたり、こんな過去があったと勉強する為にきちんと紹介すべきであると思う。これを考えるに、ポリ・コレの言動には、事実と違うとして自分達の気に入らないものを排除しようとする一方で、臭い物に蓋をする式の歴史修正の匂いがする。ファンタジー時代劇におけるデタラメなどその最たるもの。右も左もやることは同じだ。
 自分たち白人がしてきたことを謝罪し、その行為を改めようとする白人は賞賛すべきものと思うと同時に、そういう価値観のなかった時代の人たちの言動を、現在に生きる我々が同じ土俵で批判することはできないと思う次第。

近年不遇な扱いを受ける「風と共に去りぬ」(1939年)や大分前からその状態にある「駅馬車」(1939年)は良い教材である。
 「駅馬車」はゲームの対象としているかのようなアメリカン・インディアンの扱い(敵扱い)が問題とされ、アメリカの無料放送では放映されない状態と大分前に聞いたが、白人があのようにインディアンを殺したのは事実であろう。インディアン側から見れば侵略者による攻撃だが、侵略者たる白人側にしてみれば正当防衛。問題なのは侵略的行為であり先住民を殺したことなのに、少なくとも一部は事実を踏まえている映画に “扱いが悪い” として制限をかけることには納得できないものがある。

さて、本作あるいはボールドウィンの最も重要視している思われる主張は、白人が黒人を差別する背景は恐怖であるということ。日本人の一部が在日半島出身者を差別するのも同じ背景であると思う。その恐怖は身体的な恐怖ではない。自分達の優越を脅かすのではないかという根拠なき恐怖である。マジョリティがマイノリティを差別する理由は、大概これではないか。
 また、ボールドウィンは、少なくとも当時のリベラル派の白人における、黒人に対する優越意識を指摘する。リチャード・ライトの「ネイティヴ・サン(アメリカの息子)」の黒人少年は自分に親切にする白人女性(共産党員の運動家)に対し親しめないものを感じ、最終的に殺してしまう。彼が彼女の優越意識を感じたからではなかったか? 現在ポリ・コレを推進する白人たちにそれはないであろうか?

人間たるもの、自分の愚かなるを知るべし。

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この記事へのコメント

モカ
2020年12月02日 19:14
こんにちは。

>人間たるもの、自分の愚かなるを知るべし。

  まさにその通りなのですが、人間はその愚かさ故に己の愚かさかにどう対処すればいいのかが分からないという事でしょうか・・・この問題は人類滅亡まで尾を引くような暗澹たる思いがします。

 でもこれは観てよかったです。
 ボールドウィンは昔一冊読んだきりだったので大したイメージも持っていませんでしたが、今回初めて本人の語る姿を見ることができてその理知的でチャーミングな様子や対談の相手に対する敬意を表しつつもはっきりと自分の信ずる所を冷静に語る姿に見入ってしまいました。

 ドキュメンタリーとしても先日取り上げられた「マッスルショールズ」同様に 上手く編集してあり音楽の使い方もスリリングで良かったです。 冒頭1~2分後くらいでのバディ・ガイのパワフルなボーカルにすっかり胸倉をつかまれてしまいました。
2020年12月02日 19:53
アメリカ文化では、音楽ということになると圧倒的に黒人文化(元をたどればアフリカ文化になるのでしょうか)の影響力大、というか優性遺伝子によってアメリカンミュージック全体が牽引されているように見えます。

ポリコレですが、アメリカ映画はこれ気にしないといけないんでしょうね。はっきりいって映画はおもしろくなくなってますよ、ポリコレのせいで。なんというか、観る方もおかしくなっているんじゃないですかね。昔はもっと、映画は映画として観る方も適切に距離をとって映画として見ていたんじゃないかなあ。
浅野佑都
2020年12月02日 19:59
 これは見応えがありましたね!
映画を観たなぁ~という気にさせてくれる良作です・・。

ただ、「招かれざる客」の扱いについては、白人の理想、アンクル・トム、といったステロタイプの批判の域を一歩も出ていず、後のブラックパンサー運動に近いものであり、当時の考えとしても過激すぎてついてゆけません・・。

 「招かれざる客」は、白人の娘(キャサリン・ホートン)の父親、スペンサー・トレーシーが、“リベラル”であるが故に悩むというのが、物語の肝になっていますが、制作時の67年(映画史的には「俺たちに明日はない」「卒業」といった、若者の反体制ムーブメントに火をつける2作が公開)には、「公民権法」こそ制定されていたとはいえ、白人と黒人の結婚は反社会的とする州もありましたし・・。

ボールドウィンではありませんが、「(ポワチエが)白人の理想でありペット」というような批判をする者たちが出てくることなど、『渚にて』やナチス・ドイツの戦犯裁判を題材にした『ニュルンベルグ裁判』などの社会派作品を世に問うた監督ですから、百も承知でしょう・・・。
神が人間に与えた最大の美徳である”対話”と”通じ合い”こそが問題を解決するで遠くて近い道のりだ、と映画を通して訴えています。

黒人でありながら世界的にも著名な医師であるポワチエの設定を見ればわかります。
つまり、ここまでスーパーな黒人でなければ白人女性と釣り合いが取れないのだ(否それでさえも難しい)という作者の社会批判があるのも見逃しています。

僕は、アメリカ社会の黒人に対する差別は、ピューリタン的な原理主義の人間が抱きがちな”常に脅かされている”という強迫観念に端を発していると思っています。
欧州先進国にも差別は多いですが、それはEU統合後の白人難民たちにも向けられているもので、黒人だからというのは少ないでしょう・・。

アメリカの、というか世界において”招かれざる客”だったといえるトランプが去っても、次のバイデンにも「ネイティヴ・サン(アメリカの息子)」の黒人少年に殺されたリベラル女性のような匂いを僕は感じています。
オカピー
2020年12月03日 14:04
モカさん、こんにちは。

>人間はその愚かさ故に己の愚かさかにどう対処すればいいのかが分からないという事でしょうか

そういうのが殆どの人間なのでしょうが、言ってみたくなるのも人情ですね^^

>回初めて本人の語る姿を見ることができて

俳優以外の有名人はなかなか見ることができないわけですから、こういう映画を観ると有難味がありますね。

>その理知的でチャーミングな様子や対談の相手に対する敬意を表しつつもはっきりと自分の信ずる所を冷静に語る

彼のような人を見ると、人種とか民族とか、意味のないことと思わされますよね。

>上手く編集してあり

幾つかの項目ごとに集中して語っている感じで、項目ごとに何が言いたいか解りやすく作られているような気がしました。映画サイトに何を言いたいのか解らないというコメントがありましたが。
オカピー
2020年12月03日 14:12
nesskoさん、こんにちは。

>はっきりいって映画はおもしろくなくなってますよ、ポリコレのせいで。

全く仰る通り。必要の有る無しにかかわらず、有色人種と女性を配置せよというのが、前世紀末くらいから現在/未来のフィクションでは事実上のマストとなっていますから、作り方が限られてしまう。実話の映画化と史劇ではさすがにその影響は殆どありませんが、史劇に関しては多少出て来る可能性があると危惧しています。

>映画は映画として観る方も適切に距離をとって映画として見ていたんじゃないかなあ。

同意します。
 今は、見る方が余りに映画を自分に引き寄せて見すぎていますね。だから、登場人物が不快だという理由で映画をけなす人が多い。
オカピー
2020年12月03日 14:23
浅野佑都さん、こんにちは。

>「招かれざる客」の扱いについては、白人の理想、アンクル・トム、
>といったステロタイプの批判の域を一歩も出ていず

黒人問題を扱うこと自体が難しい時代だったわけですから、それを扱っただけでも価値があるわけで、いきなり現在のリベラル派が作るような作品が出るべくもないでしょう。改革は一気にやると反対が強くなる。日本の選択制夫婦別姓もここへ来て自民党に賛同する人が増えてきたように、功を焦ってはいけないものもあります。

>アメリカ社会の黒人に対する差別は、ピューリタン的な原理主義の
>人間が抱きがちな”常に脅かされている”という強迫観念に
>端を発していると思っています。

僕もそう思っています。ボールドウィンも言葉では言っていなかったかもしれませんが、そう思っていたと思います。
中近東で発生した宗教は、キリスト教もイスラム教も極端であると思います。キリスト教原理主義者はやたらに保守か、やたらに利他的かという両極端に二分されている気がしますね。