映画評「ベル・カント とらわれのアリア」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年アメリカ映画 監督ポール・ワイツ
ネタバレあり

1996年にペルー日本大使公邸で起きた実話かと思って見たら、それを着想源にした小説(作アン・パチェット)の映画化でありました。結果は実際に近い感じ。

1996年、南米某国の副大統領公邸のパーティーに、日本人実業家・渡辺謙とその通訳・加瀬亮、渡辺が実はそのミニ・コンサートを観る(聴く)為に参加したとさえ言うオペラ歌手ジュリアン・ムーア、フランス大使クリストフ・ランベールらが集まる。眼目はジュリアンのコンサートである。
 しかし、それが始まるや否や、テロリスト・グループが銃を持って現れ人々を人質にする。彼らの要求は、逮捕された仲間の釈放である。

というのが始まりだが、まず彼らは現在のイメージのテロリストではない。恐怖で政治的要求をするのだから、本来の意味で、そして権力側にとってテロリストではあるが、彼らは独裁政権に対するレジスタンスである。政府が下層の人々に寄り添った政策をとっていれば逮捕者も起きず、人質を取ることもなかったのである。イスラム国などと違って圧力に対して抵抗し今そこにある危機を取り除くという極めて現実的な目的がある。彼らをテロリストと言うなら、ナチスに抵抗したフランスのレジスタンスもテロリストになってしまう。従って、以降本稿では本作の登場人物をテロリストと称さない。

指導者が元教師でそれなりのインテリということもあって、彼らの態度は人質に対して抑制的であり、人質のほうも冷静な人が多く、通訳と恋に落ちるレジスタンスの少女カルメン(マリア・メルセデス・コロイ)や、ジュリアンに歌の教えを請う若者といった人物が出現する。大使は自由になったら少年を雇っても良いと言う。

この状態をストックホルム症候群と書かれる人もいるが、このケースでは犯人側が人質に傾いていくので、96年の事件を受けてリマ症候群というらしい。

人質同士でも、渡辺とジュリアンは恋に落ちる。しかし、十字軍セバスチャン・コッホの交渉を経ても進展のない状況に業を煮やした当局は、かくのんびりと交流しているところを襲撃し、レジスタンスを全員射殺する。その過程で渡辺も死んでしまう。

作品の狙いは、リマ症候群の様子を見せることにあるのだろうから、序盤を別にするとサスペンスは余りない。作者はそこに、彼らが、ジュリアンが最初のほうで述べた“テロリストは人ではない”とは反対の事実を映し出す。この”事実”が本作の言わばメッセージなのだろう。
 最近こういうアプローチを見せるテロ絡みの作品が増えているのは注目に値する現象で、リベラルの多い映画人たちが権力者がこういう人々を生んでいるという論点によって、力で排除していくテロとの闘いとは別の解決法を訴えているのだと思う。僕も長年そう言ってきた人間であるから、このアプローチには強く共感する。

本作については、中盤から終盤にかけての微笑ましい場面の連続に頬も緩んでくるが、全体として描写が弱くて薄味、“Yahoo!映画”のある人が言うのとは違う意味でメロドラマと言わざるを得ない。それでも、実話に沿った幕切れが切なく、やりきれない思いにかられる。

独裁者と言えば、事前の予想に反して独裁者の素質十分のトランプが勝つかと思ったが、そうでもない様子。このまま行けばトランプが訴訟に持って行くだろう。トランプで言う切り札というやつ、トランプだけに。

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