映画評「スパイダーマン:スパイダーバース」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年アメリカ映画 監督ボブ・ペルスケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン
ネタバレあり

21世紀になってから一番騒がれているキャラクターであろうスパイダーマンはもういいや、という感じで、最初から気乗りがしなかったせいもあるが、アカデミー賞長編アニメ映画賞を獲ったこのアニメ版は個人的には余り面白くない。特に序盤がまだるっこい。

マイルス(声:シャメイク・ムーア)という黒人の男子高校生が、大好きな叔父アーロンと高架下でグラフィティを書いている時に放射能に汚染されたクモに刺され、スパイダーマンことピーター・パーカー(声:クリス・パイン)と似た能力を得る。その近くではスパイダーマンに恨みを持つ悪党キングピン(声:リーブ・シュレイバー)が失った妻子を別次元から呼ぶ為に加速器を使って別次元の扉を開こうとする実験をしていて、スパイダーマンは負傷の末に殺されてしまう。
 しかし、その実験は別の結果ももたらす。マイルス君は別次元から現れたピーター・B・パーカー(声:ジェイク・ジョンスン)と協力してキングスピンの研究所からメモリースティック(を修理する情報)を奪うことになるのだ。さらに別事件から、美少女グウェン(声:グウェン・ステイシー)、フィルムノワール版、日本アニメ版、カートゥーン版のスパイダーマンが現れてキングピン打倒に一致協力することになる。
 しかし、別次元から来たスパイダーマンもどきたちがこの世界にいると弱っていくことを知ったマイルス君は新しいスパイダーマンとして独りでキングピンを倒すべく勇気を奮って立ち上がる。

序盤のまだるっこさに加えて、キングピンを倒すというお話の目的にどうも感興が湧かない。主人公がそれをやるモチヴェーションが希薄である感じを持つ。そういう目的であるならば、キングピンによりマイルス君がピンチに陥り、それを脱する為に相手を倒すという、より直球的な流れのほうが素直に楽しめたのではないか。
 実際にはそうでなくても楽しめた人が多いのだから作者の狙いがピントを外していなかったことになるが、画面を別にして、これが楽しめる人の映画観に多少問題を感じないでもない。その画面にしても、十年以上前の今敏監督や湯浅政明監督などの邦画アニメ群のイマジネーションに及ばない気がする。映画館の大きな美麗な画面で見ればその印象が変わる可能性を否定しないが。

悩む設定などを与えてヒーローやスパイを我々凡人の位置にまで下げるのは、観客を別の世界を連れて行くというジャンル映画の存在意義を考えれば、邪道と思った方が良い。そうした誤った価値観を確立してしまったのが「スパイダーマン」第一シリーズで、僕は世評の高いあのシリーズを全く評価していない。

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この記事へのコメント

2019年12月29日 18:52
>悩む設定などを与えてヒーローやスパイを我々凡人の位置にまで下げる

今年話題になった「ジョーカー」もそれっぽいですよね。まだ観てないんですけど、紹介記事を読むとなんかそんなかんじ、ホアキン・フェニックスを見る映画なのかな。
負け組白人描いたのが快挙みたいな観方もされてますが、アメリカンニューシネマは大体そうだったじゃないですか。若い人が知らないのは仕方ないですけど、同年代のライターさんは見てると思うんですけども。
オカピー
2019年12月29日 22:04
nesskoさん、こんにちは。

>「ジョーカー」
全てそうした傾向がダメというわけではないですけどね。
「ダークナイト」を含む、「バットマン」シリーズは上手く作っていました。少し悩むバットマンは当時のアメリカを投影したように感じられましたしね。

スパイ映画にしても、ジョン・ル・カレの扱うようなスパイは逆に最初から我々に近いわけで、007やイーサン・ハントのようなヒーロー的なスパイとは違う。007が徹底して苦悩するなんてつまらんですよ。

「ジョーカー」が僕の考える良い映画に入ることを願っています(笑)。