映画評「勝手にしやがれ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1959年フランス映画 監督ジャン=リュック・ゴダール
ネタバレあり

映画界では無軌道な若者を描いた作品が多く新しい潮流を生み出した。本作やルイ・マル監督「死刑台のエレベーター」(1957年)がヌーヴェル・ヴァーグを、「俺たちに明日はない」(1967年)がアメリカン・ニュー・シネマを。
 しかし、後者は古い映画も作ってきた大人が結果的に新しい流れを作ったのに対し、本作の原案を書いたフランソワ・トリュフォーや脚色・監督を担当したジャン=リュック・ゴダールは映画界を変えようとして本当に変えた。そういう違いがあると思う。

これは1978年リバイバルの時に映画館で観た。最近でも、欧米のインディ系映画に、未だにこの映画を想起させる映画に遭遇する。それくらい映画マニアには好かれる作品で、僕のようにオーソドックスな映画を比較的好む人間にもこの作品のカメラは相当魅力的と感じる。人の好みは様々なれど、この作品のフォトジェニックさに痺れない映画マニアはちと寂しい。

車泥棒を働いた青年ジャン=ポール・ベルモンドが、追ってきた白バイの警官を射殺してパリに向い、夏に南仏で知り合ったパリのアメリカ人、ジャーナリスト志願の美人女子大生ジーン・シーバーグのアパートにしけこむ。
 しかし、彼女は彼が警察に終れているのを知り、また自分に冷たいのを面白く思わず、接近してきた刑事に居場所を密告してしまう。それでも逃げてほしいのでその事実をすぐに伝えるが、ぐずぐずしているうちに発見され、結果的に射殺されてしまう。
 こと切れる寸前に青年は「最低だ」と言い、刑事は彼女に「お前は最低だ」と言い換えて伝える。

既にビックリはしないが、今でも新鮮に見られる。ゴダールには苦手意識があるものの、刺激を覚える。

ストーリーはアメリカのB級犯罪映画をなぞりつつ、ゴダールらしいインテリ意識が顔を出し、それが時に退屈を誘う。長編デビュー作の本作などは控え目なのほうで、彼女のアパートでの会話など文学的でやたらに長たらしいが、一種の恋愛論で、政治・哲学的なゴダールより文学趣味のトリュフォー的な匂いが濃厚である為、つまらないと一蹴する気にはなれない。

ネオンサインが青年追跡を告げる様子もトリュフォーの趣味で、ヒッチコック御大のサイレント映画から拝借したように思う。場面転換に使うアイリス・アウトもトリュフォーが好んだクラシックな手法だ。

翻ってゴダール的なのは、まず、警官を射殺するシークエンスの文法無視のカット割り。後ろ若しくは横から警官が来たはずなのに、彼は前方に現れた警官を撃つ。鈴木清純の「殺しの烙印」の如し(影響関係は勿論鈴木監督の方が後発)。複数の警官がいたとも考えられるが、文法無視と理解した方が面白い。
 続いて、ゴダールの代名詞たるジャンプ・カット。街中でバイクが倒れるシークエンスがジャンプ・カットで初めて構成される。どこかサイレント映画的。もっと強烈なのは、ジーンが別のジャーナリストと話している時の数コマ単位のジャンプ・カット。コマは抜かされているのに台詞は自然にそのまま続く。

ヒロインがアメリカの作家(ジャン=ピエール・メルヴィル)とやり取りする部分はゴダールらしい。後年の彼は本人役の本人を登場させて極めて即興的に作るが、まだそこまでは行っていない。

総じて、後年の作品よりはぐっと見やすいので、これがダメならゴダールは大概ダメだろう。

1960年代の初め本作の影響を受けた邦画多し。後年ひどく晦渋になる吉田喜重がデビュー作として作った「ろくでなし」(1960年)は典型。

この記事へのコメント

モカ
2019年08月09日 10:28
前回観てから、もう40~50年は経っていますが、あの有名な、路上で新聞を売っているパトリシアとミシェルが並んで歩くシーンはいまだにお洒落雑誌なんかで取り上げられているので隔世の感はないですね。
というか、あのツーショットのカッコよさはもう「永遠に不滅」と言っていいんじゃないでしょうか?(陳腐な言い方・・・)
 私なんか、「1960年の奇跡だ」くらいには思ってますけど。
「俺たちに明日はない」の二人はだんだんお洒落になっていきますが、こっちの二人は初めからお洒落です。さすがパリです。
 ミシェル君、女の金をちょろまかして、まずはジャケットとネクタイ(シャツもかな)買ってます。
ボギーになるには、まずはカッコ決めないと何にも決まらんというやつですね。

今回気づきましたが、新聞売りのシーンの二人の会話で、パトリシアが Qu'est-ce que c'est? または Qu'est-ce que ~
を連発するんですね(あと、Pour quoi? も)

>こと切れる寸前に青年は「最低だ」と言い、刑事は彼女に「お前は最低だ」と言い換えて伝える。
  この場面でパトリシアは「最低だ」が聞き取れなかったのか意味が分からなかったのか、Qu'est-ce qu'il a dit?  (かな?自信ないですが)「何て言ったの?」と警官に聞いていて,
「ケスク」で始まり「ケスク」で終わる意味深な映画です(笑)

フォークナーの「野生の棕櫚」の使い方も面白くて、時代の匂いを感じました。

路上撮影はカメラマンをのせた車いすをゴダールが押してか引いてかしりませんが、とにかく動かしていたとか。
路上で行きかう人達がそれこそ、Qu'est-ce que c'est?  って感じで振り返って見てるのが面白かったです。
ラストシーンなんか 歩道のお年寄りがびっくりしてみてましたもんね。ベルモンドの演技よりそっちのほうがリアルだったりして・・・
オカピー
2019年08月09日 23:23
モカさん、こんにちは。

>路上で新聞を売っているパトリシアとミシェルが並んで歩くシーン
今見ても断然格好良い。二人の服装やヒロインの断髪は時代を超えるものがある。

>Qu'est-ce que c'est? または Qu'est-ce que ~
おおっ、フランス語がお解りですか。
1971年頃TVアニメ「ガッチャマン」で♪だれだ、だれだ、だれだ~と歌われ、「デビルマン」で♪あれはだれだ、だれだ、だれた、と似たような歌詞の主題歌がはやりましたが、そんな感じですよね。

ロシア語は専攻でしたのである程度解りますが、難しいロシア語で四苦八苦していたので、第二語学はぐっと楽な英語にしましたよ。

>聞き取れなかったのか意味が分からなかったのか
何回観ても両義的ですね。何を考えているのか解らない、彼女の最後の憮然とした顔が良い。

>フォークナーの「野生の棕櫚」
明らかにゴダールの趣味。トリュフォーは自国の古典が好きで、特にバルザックを色々な作品に何度も出してくる。

>ラストシーンなんか、歩道のお年寄りがびっくりしてみてましたもんね
途中の場面でも通行人がカメラのほうを一斉に見る箇所が結構あり、本当は映画的にはダメなんだけど、それを平気でやるところが、ヌーヴェル・ヴァーグなんでしょうね。
モカ
2019年08月10日 23:04
こんばんは。
先生、ヒロインの断髪って~? 尼さんじゃあるまいし(笑)
先生の弱点を見つけましたわ。それとも短髪の間違いでしょうか。それにしても高校野球球児じゃあるまいし。
あの髪形は当時の日本ではセシルカット、今時はピクシー(pixie cut)と申します。

第2外国語って超特急で学んで超特急で忘れてしまいました。
憶えているのは、Qu'est-ce que c'est? と Jet'aime くらい。
当たり前ですが、後者はまったく使う機会なしです。
パリの蚤の市で Qu'est-ce que c'est?  を使ってみても返ってくる答えが理解できなくて、結局英語のほうがまだ何とかなるという体たらくでした。
そういえば、Bonjour と merci は欠かせませんね。
日本ではだまってお店に入っても特にマナー違反じゃありませんけど、フランスは客もちゃんと挨拶するのがマナーのようです。
「勝手に・・」のパリの風景を観ていると行きたくなってきました。昨今はパリも物騒ですけど。

ロシア語専攻ですか・・・難しそうですね。
人の名前からして複雑(笑)
オカピー
2019年08月11日 09:39
モカさん、こんにちは。

>断髪
いや、戦前、女性の短髪を断髪と言ったんですよ。切り揃えた髪という意味ですね。従って、断髪はおかっぱ、ボブカットのことなので、全体的にもっと短いセシルカットとは違いますが、古い表現が好きなので気取って短髪をこう言い換えてみました。

おかっぱで有名だった女流作家・岡本かの子が「豆腐買い」という小説で、こんな文章をものしています。
「顔を赭くして除けて通って行く加奈子の横顔から断髪の頸筋の青い剃あとを珍しそうに見詰め・・・」

>フランスは客もちゃんと挨拶するのがマナーのようです。
良いですね。客も店員に敬意を払うべきです。
 日本は現在“お客様は神様です”が当たり前になって実に良くない。だから、“~させて戴きます”といった変な敬語が芸能人に始まって一般にまで広まっていますね。
 自分のお金が旅行に行ったのに、“旅行に行かせて戴きまして”などという意味なく長い表現が目立ちます。芸能人の場合、敬意を払っている相手は、目に見えない視聴者。好感度が頭にあるのでしょうねえ(僕はこんな変な敬語を使う人に好感は持てませんが)。

>ロシア語専攻ですか・・・難しそうですね。
難しいですよ(笑)。文法的には世界で一番難しいと言語学の教授が仰っていました。フランス語をマスターするのに1年かかるなら、ロシア語は4年だ、とか(僕の周囲にはロシア語を選んで後悔している者大勢いました)。
 その代わり格が多いので、語順を変えても日本語同様に意味が解るという利点があります。英語と違ってI(ロシア語でЯ)を一々言わないことが多く、この辺も日本語に近いですよ。
モカ
2019年08月11日 14:10
こんにちは。

断髪はモダンガールの髪型だったんでした。 失礼いたしました。
Prof.は私の弟といってもいいお年(ガッチャマンを見ていた世代)なのにお姿を想像できないので、博学でいらっしゃる事、古い映画に精通されている事等から、淀川さんと同じようなお年頃の方と勘違いしているところがあるようです。
( 淀川さん世代ならもうこの世の人ではないんですが )

岡本かの子は若いころに「老妓抄」を読みましたが、時期尚早だったのか、ほとんど覚えておりません。

何かというと「させていただきました」って嫌ですね! 
それに敬語と謙譲語も混乱していますね。

でも明治から大正の女学生言葉も当時は「今どきの若い娘の言葉使いはけしからん」と非難されたようですが、今や普通の女言葉として定着している訳で・・戦前の大久保康夫訳が格調高いとかいわれますが、地の文はさておき、女性の話し言葉なんてまさにそれですよね。

イタリア語も I を省略できるんですよ。 疑問文も日本語と同じように語尾を上げればOKだったような・・・違うかな?
忘れました! (笑)
以前、 ちょこっと日伊会館に習いにいきました。

私は「カラマーゾフ・・」は1ページ目で、厳密にいうと最初の3行で挫折しました。誰かにキリストが蘇ってくるあの有名な所だけ読めば、と言われてあそこだけ読みました。
十代に読んだチェーホフとかプーシキンは大丈夫だったんですが、ドストエフスキーがトラウマになってます。
多分訳文が悪かったんじゃないかと思うんですが。
訳文のせいにしてますが、ほんとは頭悪いから、3,4行にわたる文章の最初にに主語があって、最後に述語があるとなんのこっちゃら分からなくなるんです。

ヨーロッパは日本のように「空気を読む」とか「以心伝心」「忖度」の社会ではないんでしょうね。
量販店でない限りはお店の物を勝手に触ってはいけないとか、黙って店に入っていくと怪しい人間だと思われるとか聞きました。

女性や男性に対して呼びかける言葉がちゃんとあるところは好きですね。相手は習慣で「マダム」や「シニョーラ」と呼んでいるだけなんでしょうが、ジャポネのおばさんは嬉しかったですよ! 若かったらコロッと騙されてるところです。「旅情」のようにはまいりませんわ。


オカピー
2019年08月11日 23:04
モカさん、こんにちは。

>淀川さんと同じようなお年頃の方と勘違い
他の方からも言われました^^;
実際、淀川さん世代の書き手の文章をよく読み、同時代の作品より古い映画に関心を持っていましたから、淀川さんの世代の普通の映画ファン以上の知識があるかも知れません。僕の世代で、戦前の映画を数百本観ている人は日本でもそれほどいない思います。

>岡本かの子
「老妓抄」は僕もよく憶えていません。代表作ですが。
他に、「金魚繚乱」「鶴は病みき」が代表作でしょう。お時間が許せばどうぞ。

>今や普通の女言葉として定着している訳で
言葉が変わることに必ずも否定的なわけでなく、例えば、ら抜き言葉は一定の合理性(聞き手が解りやすい)があるので、自分は話さないまでも、世間ほど騒がない。

それより、初めて聞いた話題に対する“そうなんですね”という受け答えが許しがたいです。いずれ本ブログにて何か書く計画を立てています。
 まさかモカさんは言われないでしょうね?(笑)

言葉は聞き手が解りやすいかどうかが肝要です。

>疑問文も日本語と同じように語尾を上げればOKだったような
ロシア語もほぼ同じですが、違うのは、質問したい単語のアクセント部分を高く上げるんです。

>十代に読んだチェーホフとかプーシキンは大丈夫だったんです
右に同じ。学校でも吹聴していました。

>ドストエフスキー・・・多分訳文が悪かったんじゃないかと思うんです
多分にそれはあるでしょう。
ドストは誰が訳しても難しいですが、先輩の亀山郁夫先生は戦後生まれなので、亀山バージョンは割合理解しやすくなっているかもしれません。

>「空気を読む」
僕はこれが嫌いなんです。
 特に最近の若い人のそれは、気配りではなく、自分が嫌われたくないだけ。友人ごっこ。色々と気に入らないことを言って面倒くさく思われるくらいが本当の友人でしょう。協調は大事ですがね、“空気を読む”のと“協調””配慮”は似て非なる観念と思います。
モカ
2019年08月12日 21:41
こんばんは。

>初めて聞いた話題に対する“そうなんですね”という受け答えが許しがたいです。
 えぇ! そうなんですかぁ? ← これ、だめですか?(笑)
 友達なんかと喋ってて意外な話や初耳話のときに、
「へぇ~そうなんや~」って言いますけど・・・

 コメントを書くのに緊張してしまうので、お手柔らかに願います。

 今日、図書館に行ったので、岡本かの子を借りてきました。
 そういえば、最近、夫が青空文庫で岡本かの子を読んで、
「すごい人や~」と、やいやい言ってました。
 何がどうすごいのか聞きただしてませんが、多分、愛人がいっぱいいたとかいうレベルの話なんだと思います。
オカピー
2019年08月12日 23:22
モカさん、こんにちは。

>えぇ! そうなんですかぁ? ← これ、だめですか?(笑)
>「へぇ~そうなんや~」って言いますけど・・・

いやいや、それが正しい言い方なんですよ。
「そうなんですね」は実は相手への問い返し(疑問提示)なのに、それをあたかも相手に発言を承服したという見せかけ(インチキ)をしているから問題。

モカさんの最初に挙げた例は疑問形なのですが、実は通常の受け答えの「そうですか」「そうなんですか」「そうなんや~」は疑問ではなく、感動の意思表示なんです。初めて聞きました~という意思表示なんです。

細かい分析は記事で書くので以下省略です。


>コメントを書くのに緊張してしまうので、お手柔らかに願います。

いえいえ、心配ご無用(笑)
書き言葉に疑問を感じることはまずないですね。有名人の名前に「~さん」付けするのは良くないと思っている程度。夏目漱石さん、豊臣秀吉さん、バッハさん、クイーン(バンドの)さんと書いている記事にはさすがに腹が立つ(笑)。「~さん」を付けないことが歴史的人物や有名人の肩書き呼称だから。


>今日、図書館に行ったので、岡本かの子を借りてきました。

それは恐れ入ります。
今回も趣味に合わなければ、やはり岡本かの子と相性が悪いのでしょうねえ。

今kindleで林芙美子の「浮雲」を読み直していますが、腐れ縁が凄いねえ。傑作ですねえ。
浅野佑都
2019年08月13日 12:53
「そうなんですか」や「そうなんや~」は、相手の会話の続きを促すので、「そうそう、それで・・・」となりますが
「そうなんですね」では、そこで話が一旦断ち切られ強制終了してしまう・・。
非常に冷たい印象のいやな言葉ですね!

 ここからは、モカさん寄りの発言になると思いますが、関西の言葉というのは、ぼくらコテコテの関東弁者から聴くと、やわらかく優しいんですよ・・(荒いのは河内弁くらいでしょうね・・よく、暴力団映画で、さっきまで関東弁だったのに、喧嘩になると急に「おんどれ、なにさらすねん!」となるあれです)笑。

何が言いたいかというと、関東よりも言葉に対して雅で優しさが多く含まれる関西弁では「そうなんですね」の様な、相手に冷たさを抱かせる言葉は用いないと思います。

 私事で恐縮ですが、二十歳くらいのころ、はじめて京都に一人旅をしたときに、母への土産に「栗饅頭」を求め、ネットのない時代、老舗の店を探して四苦八苦していたところ、通りを行く老婦人が「ああ、それやったら・・」と親切に道を教えてくれたことが・・。

彼女は、店までの複雑な道順を僕に教えた後で「ほなね、知らんけどな・・」とひとこと。

僕は思わず、「え、知らないのに教えていたのか・・」とビックリしましたが、これは関西弁特有の「提案」と「責任回避」を同時に行なっているのですね。しかし、この言葉に悪意はなく、ある意味、優しさを込めた言葉なんだと思いました。。

よく、大阪弁は普通の市民の会話も漫才のようにオチがある、と言いますが、これも、相手に話をわかりやすく伝えることに重きを置いたが為では、と思います。
人によっては、それが高じて、話を盛る人も関西には多いとか(笑)
モカ
2019年08月13日 21:00
浅野さま、オカピーさま、 こんばんは。

>ぼくらコテコテの関東弁者から聴くと、やわらかく優しいんですよ・・
 愛と理解あるお言葉、ありごとうございます。
お武家社会だった関東に比べると、大阪は商売の町だったので、商いの言葉使いで、最後は妥協点を見つけて(物の値段等)お互い気持ちよく「おおきに、またよろしゅう」と笑って別れるのを良しとしているんだと思います。
あんまり口が達者すぎると、口ばっかりや、と却って信用を落としかねませんが、21世紀になっても、やはり話術(サービス精神)は大事だと思います。

それに比べると京都は曲者ですね~ 
私も京都歴が長くなりましたが、相手がバリバリの京都人か否かを見極めて喋らないと痛い目に遭います。(遭いました)
京都の人はのらりくらりと話しをかわして、イエス、ノーをはっきり言わないと近隣他府県民から嫌われがちです。
何故かというと「応仁の乱」あたりまで話はさかのぼるらしく(笑)直近では幕末ですが、いろんな勢力がこの地で権力争いを繰り返しているので、今日の勝者が明日は敗者、保身の為には距離をとる必要があったからだそうです。どちらかに加担すると明日は形勢逆転、我が身が危なくなるとか。
補足しときますと、よく「京都人が前の戦争って言ったら応仁の乱の事やった」とまことしやかに語られますが、私はそんなん一回も聞いたことないです。あれは嘘です。そんな事言う人いたらあほです。「学校で歴史なろてへんのんか?」と突っ込んでみたいです。


 関西人からワンポイントアドバイス
関西人はすぐに値段聞きます。新築祝いにいって「ええ家建てたなぁ~ええなぁ~ ほんで、なんぼ(値段)したん?」
これ普通です。知り合いで、お店に入ってきた客に「ここ家賃なんぼすんの?」って聞かれて憤慨してる人がいました。「そんなん、100万円 って言うといたらええねん」って教えてあげましたが、こういう対応はちょっと年季がいりますね。
とりあえず、関西人にズカズカ土足で入り込むような質問をされても、悪気はないので、ばっちり冗談で返してみてください。
 (京都の人は出身地や地域によってかなり違うのでここまでのことはあまりないかもです)

映画から話がそれすぎたので「勝手にしやがれ」を京ことばにするとこんな感じでしょうか
 「おうちの好きにしはったらよろしいのと違いますか~」
  ( おうちってあなたの事です。
  主に祇園や中京辺りに住まいされている昔の典型的京都人 
   断定しない。相手にゆだねる。気持ち悪いけどこうなったのには歴史があるということで堪忍しておくれやす、です。 )

「知らんけど」
私も最近よく使います。年寄り用語ですかね。
自分の直接しらないこと、テレビで聴いた、誰かに聞いた、噂レベルetc をとりあえず話してから、伝聞であるとの意味で付け加えております。
責任回避というほどではないんですよ。
栗饅頭の美味しい店、丸太町通りにありますね、行ったことないけど(笑)
 
オカピー
2019年08月13日 23:11
浅野佑都さん、こんにちは。

>「そうなんですね」では、そこで話が一旦断ち切られ強制終了してしまう
僕ら世代はそう思うのですが、若い人はまるで逆で、「そうなんですか」のほうが冷たく感じるらしい。
 そこで、今日神奈川からお盆休みで戻って来た甥っ子とこの件について話をしたのですが、なかなか興味深いことを言っていました。彼曰く、「若い人には“~か”は敷居が高く、“~ね”はそうではない」(主旨。因みにこれは慣用句の誤用ですが、彼がこの措辞を使ったわけではありません)。世間で若い人が言っている「寄り添っている感じ」と似てはいるものの、ちょっと新鮮でした。
 とは言っても、言葉の本来の意味から言っても、肯定文の「そうなんですね」は初めて聞く話題には使うべきではないという意見を帰る気はありませんがね。

>関西の言葉というのは・・・やわらかく優しい
大阪弁以外はそう感じますね。上州弁は空っ風のせいか知りませんが、使っている本人が聞いてもきつく感じることが多いデス。

とにかく国内旅行を殆どしていない僕は、関西は修学旅行で行っただけで、映画や小説を通しての知識ぐらいしかありませんが、こんなジャンク記憶があります。
 集団で疲れたように歩いていると、元気の良いおばちゃんから「あんたら、よたっとる」と言われまして、一部に誤解しかけた生徒がいたのを見て同級生の一人が「疲れている(よたよたしている)という意味だよ」と講釈したんですよ。

>知らんけどな
ブラタモリを観ていると、そんな関西人が出てきます。北九州(博多?)のおばさんもおかしかったなあ。まるで芸人でした。
 からっ風の上州おばちゃんはかかあ天下でもああいうパワーはないですよね。
オカピー
2019年08月14日 08:43
モカさん、こんにちは。

京都に関して特段の実際的知識もなく、アイデア(考え)も出てきませんが、楽しく読ませてもらいました。

ところで、今回の台風10号が四国から中国・近畿地方を縦断するようなので、是非注意怠りなく、備えてくださいね。
モカ
2019年08月14日 11:31
おはようございます。
台風の影響か少し曇り空で風もあって、今のところ過ごしやすいです。
浅野さまが時々京都に来られる事があるとのでしたので、嫌な思いをされた事がおありになるんじゃないかと思い少し書かせていただきました。
プライドが高くって遠回しに嫌味をいうイケズな京都人も大分減ってはきていますが、イケズの資質を受け継いでしまっている子孫をたまに見かけますので困ったことです。
かくいう私も何だか感化されてきているような・・・

先日、「この世界の・・」で、戦時中の親の体験を書いてから、なんとなく戦時中の女学生のもんぺ姿が見たくなって検索しておりましたらこんなのを見つけました。よろしかったらご覧になってください。

 youtube 戦時中の女学校時代 

 昭和2年生まれの群馬県出身の井上政江さんの体験談です。
 群馬の田舎だったので大した戦争体験はございませんが、とおっしゃってますが、私の母より1歳下の方なので頷きながら聞いてしまいました。
 せめて10年くらい前にこういうのをもっと残しておいてほしかったな、と思います。自分の親からでさえちゃんと話を聞いていないのに言えた筋合いではないのですが。
オカピー
2019年08月15日 08:55
モカさん、こんにちは。

>浅野さま・・・嫌な思いをされた事がおありになるんじゃないか
嫌な思いというより、自分がどう思われるかが大事な関東人にはまずありえない言葉だったので、驚いたというのが実際ではなかったか、と思います。
 ご本人が確認されるのが一番ですが、僕の推測です。

>昭和2年生まれの群馬県出身の井上政江さんの体験談です。
ご存知の通り僕は群馬県人。母親が昭和3年生まれで、叔母(父の妹、但し母親が違う)が政江と言うので、他人とは思えませんね。
 父親も母親も空襲されるような街に住んでいなかったので、井上さんと似た経験をしていたと想像しますが、母親は終戦直前に東京で奉公していたので空襲は経験しています(ところが家の持主一家は群馬に疎開し、奉公人のみが家を守っていたらしい)。前に述べたように、焼夷弾云々は何度か聞いたものの、銃後の暮らしぶりなどは父からも母からも全く聞いていないです。これは失敗でした。

今日は終戦の日。大林宣彦監督の「野のなななのか」という映画が8月15日以降の樺太での戦いに触れていて、戦争はもっと複雑の様相を示していたことを教えていますが、送り盆(こちらでは今日)と合わせて戦争と先祖に思いを馳せたいと思います。

台風本番はこれからですから是非お気を付けください。
 群馬は特に今回は大した被害が予想されません。少し気持ちの良い風が吹き始めました。しかし、送り盆の時間設定は悩まされています。一人なら風の少なめの時に勝手に行けますが、家族・親族がいる身でそれはできません。
浅野佑都
2019年08月16日 19:27
 台風による災禍も、コメント欄の皆様の地域、プロフェッサーや僕の住む街にもなかったということで安堵しています・・。

>15日が盆送り
僕の地域は、今日でしたので1日早いのですね。プロフェッサーのお家は本家なので、賑やかな中にもしめやかな盆だったと思います。

実家の菩提寺の住職は、僕の小学校の先輩の女性でして、若いころから勉強スポーツともに万能、僕ら下級生の憧れでした・・。
イギリス人と結婚、その後離婚してから得度し、今は、彼女の母親と若いころのジーン・セバーグに似ている碧眼の娘と三人で寺を切り盛り。
三人並んだ横顔を見つめながらうっとりと読経の声を聞くのが、年に一度の僕の楽しみです・・御先祖様には申し訳ないですが(笑)

>京都でいやな思い
プロフェッサーの仰るように、関東者は恰好をつけたがる傾向がありますからね・・。
あちらのストレートな物言いは、むしろ好感をもつことが多い・・。
京都人に関しては、愛憎半ば(笑)な部分もありまして・・。
実は、若いころ洛中に住む女性と遠距離恋愛を・・。
JR東海のCMでユーミンの「シンデレラ・エクスプレス」を流し、新幹線のホームで別れを惜しむアベックを映したのがありましたが、まさに地で行っていましたね。
CMコピーは「距離に負けない」でしたが現実はそうはいかず・・。
恋愛はお互い様ですが、僕の場合は、京女性の強さを思い知らされたというところでしょうかね(笑)
それでも、当時、その女性と一緒にそぞろ歩いた“哲学の道”など、大好きな場所が多い京都ではあります・・。

>大林信彦の戦争三部作
「野のなななのか」だけ未見ですが、同じく北方の色丹島の終戦直後の悲劇を描いた良作アニメ「ジョバンニの島」を観ていますので、関連付けてこの時期に観ようと思います。
オカピー
2019年08月17日 17:55
浅野佑都さん、こんにちは。

>僕の地域は、今日でしたので1日早いのですね。
親戚の住む玉村では16日朝らしいので、西毛は15日、東毛は16日という傾向があるかもしれません。

>実家の菩提寺の住職は、僕の小学校の先輩の女性でして
へぇ~、ここらあたりに女性の住職はいないデス。
しかも、娘さんがハーフですか。面白いなあ。

>京女性の強さを思い知らされた
京都のおいとはんと訳ありだったのですね?

>「野のなななのか」
実物を観るまで題名が意味不明でした。
「この空の花」と趣向的に似ているので、あの作品に抵抗がなければ行けるでしょう。
モカ
2019年08月19日 21:46
こんばんは。

岡本かの子、読みました。 
今回は挫折しませんでした。良かった・・・
というもののスラスラというわけにはいきませんでしたが・・・
かの子女史、芸風が岡本太郎と似ていますね。 
親子で「芸術は爆発だ!」路線と見受けました。
岡本太郎は土偶や縄文土器が好きだったようですが、かの子の文章はまさに縄文土器を間近で見ているような何とも過剰なまでの生命力(とでもいうんでしょうか・・・)を感じました。

「金魚繚乱」は谷崎が書いてもおかしくないテーマだし、「鯉魚」は芥川の「今は昔」っぽい感じがしました。
「みちのく」はさらっとした余韻が残る佳作だと思いました。
他に「鮨」「家霊」「混沌未分」それぞれに味わい深い作品でした。
しかし、この過剰さはあまり経験がないので疲れました。
デザートに梅崎春生なんぞ読んでしまいました。(この人の戦争ものは別の意味で疲れるんですが)

林芙美子のほうが文体で疲れるという事はないですね。
内容で疲れますけど。
私は林芙美子の年上の友人だった尾崎翠が好きです。意外と乙女なんです・・・
オカピー
2019年08月20日 19:52
モカさん、こんにちは。

>岡本かの子、読みました。
どうも恐縮です。
しかし、印象が悪くなかったようで、良かった。

>過剰なまでの生命力
なるほど。そうかもしれません。

岡本太郎と言えば、「母子叙情」でかの子は息子との関係を綴っています。面白いかもしれません。

>デザートに梅崎春生なんぞ読んでしまいました。
今年は「幻化」を読みました。これは短いけれどデザートにはなりますまい?(笑)
 丁度十年前に膵炎で入院した時に、「桜島」「日の果て」で初めて読みました。まだ体調不良の時期だったので余り憶えていず。
 続いて、病院にでもいなければじっくり読めないと思い、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を図書館から借りてきて貰いました。退院まで2週間はあるから余裕で読み終わるかと思いきや、結構ぎりぎりでした。凄い小説だけれどもあれは難物。訳は恩師の原卓也先生。授業で習った措辞が色々と出て来て、懐かしかった。

>林芙美子のほうが文体で疲れるという事はないですね。
僕にも、読みやすいデス。内容は疲れます。ストーリーが実に低回的(本来の意味とは少し違う意味で使っております)ですからね。

>尾崎翠
今のところ名前だけ存じております。
後で勉強致しますm(__)m

ところで、「ギヴァー 記憶を注ぐ者」を読み始めました。高校野球の準決勝を2試合とも見ていたので、時間が取れず半分終ったところで今日は終了。
 (映画評で既に書いたように)児童文学と言われますが、所謂YA小説よりずっと大人っぽいのではないかという気がするくらい。尤も、YA小説など読んだことがないのですが。子供も侮れない。
モカ
2019年08月21日 13:58
こんにちは。

「母子叙情」 来年くらいに読んでみます。今はかの子パワーに圧倒されて少々疲れております。

「ぼろ家の春秋」でもよかったんですが、「幻化」を読んでしまいました。飄々とした負のパワー?でかの子パワーが中性化したようです。 (笑)
 
体調がそんなに悪くなければ入院生活は読書三昧できますね。
私も下の子を妊娠中に2週間くらい絶対安静で入院しまして、井上ひさしの「吉里吉里人」と谷崎訳の「源氏物語」を5巻まで読みました。結局その後、源氏の続きは読んでいませんが。

あっ、「老妓抄」は今回もピンときませんでした。なんでしょうね。

「浮雲」は探したら出てきましたが昔の文庫本は字が小さすぎて眼鏡+ハヅキルーペが必要です。これを裸眼で読めたなんて嘘みたいです。紙の本が好きなんですが、こういうのは青空文庫が読みやすいようですね。

「ギヴァー」読んでくださってるんですね!
島津やよい訳のほうでしょうか。
「ギヴァー」は最初講談社から出ましたが、売り方が悪かったのかすぐに絶版になってしまい、既読のファンの人たちが集まって出版社を探して再出版にこぎつけたらしいです。
実は私もお勧めした手前もあって再読いたしました。
2回目のほうが、先を急がず丁寧に読めたようで良かったです。

オカピー
2019年08月21日 23:03
モカさん、こんにちは。

>「老妓抄」は今回もピンときませんでした。なんでしょうね。
僕も、これはピンと来ていないので、ずっと宿題としている作品。Kindleに入れてありますので、いつか読み直す予定です。

>「浮雲」は探したら出てきましたが昔の文庫本は字が小さすぎて
当方も、文庫本で持っていますが、Kindleで夜照明を落として読みました。明るいうちは図書館から借りて来た本を読まないと時間が勿体ない(笑)。

>「ギヴァー」・・・島津やよい訳のほうでしょうか。
そうです。
 映画版で感じた、記憶を排除しているコミュニティーが記憶を大事にしていることの矛盾は確かに感じませんでしたね。
 設定的には、記憶を有するレシーヴァ―がコミュニティーに便利に使われているわけですが、人間には記憶を持つことが必要であるという作者の考えが沈潜している気がします。