映画評「皆殺しの天使」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1962年メキシコ映画 監督ルイス・ブニュエル
ネタバレあり

独裁政権のスペインから逃避していたメキシコでのルイス・ブニュエルは解りやすい作品ばかりだが、これは例外的にシュール。難解というよりシュールなのである。再鑑賞。

上流階級のパーティーを準備していた召使たちが、彼らが外から帰ってくる前に、次々と家から出て行き、最終的に執事が残る。ただの集まりだったのに人々は屋敷で夜を明かし、何故か屋敷から出られなくなる。やがてその周囲を内部の関係者や官憲が取り巻くが、中に入る勇気のある者はいない。

というシチュエーションは、“帰らなかった”という事実を“帰れなかった”と思い込み、それが人々に伝染して呪縛となる。いつでも出られるのに出られない。その不条理である。先月読んだウジェーヌ・イヨネスコの戯曲群みたいだ。

人々は遂には飢え渇し水を巡って大騒ぎになる。これは上流階級への風刺かもしれないし、特段の意味がないのかもしれない。自由なのに飢え死にし、絶望して自殺をする者が出て来る。その不条理こそ作品の命である。
 ところが、一人の女性(シルビア・ピナル)がその呪縛に気付いて、何の苦労もなく、ドアから外へ出て行く。そんな彼らが教会で感謝のミサを捧げた後、今度は教会から出ていけなくなる。一人が出て行かないと皆出ていけない。“赤信号、みんなで渡れば怖くない”の反対である。

しかし、今度はそれと関連付けられるかのように、官憲が市民を撃つ場面が挿入される。この幕切れは、額面的には、外の恐怖の為に教会の人々は出られないのだと考えさせるものがあるのだが、そう合理的に考えてもつまらず、やはり心理学的な側面から、屋敷内の出来事は人の内面の有り様と考えたほうが面白く楽しい。どこまでが現実でどこまでが幻想なのか曖昧なのは、この作品が人の心を扱っているからと思うと納得できるのである。

題名は旧約聖書【サミュエル記】の挿話(ダビデと羊絡み)由来らしいので、ブニュエルも他の欧州巨匠と同様にキリスト教を意識せざるを得なかったと理解するのは間違いではない。

マカロニ・ウェスタンではありませんよ。

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この記事へのコメント

2019年08月10日 10:52
ラストに向かいぐいぐいドライブがかかり、緊張感が高まっていき
驚きのクライマックスに至る点で、ブニュエルの他作にはない大き
な特徴であり、傑作だと思いました!
オカピー
2019年08月10日 20:48
onscreenさん、こんにちは。

終盤はブニュエルにしては非常にドラマティックでしたね。
2019年09月28日 11:04
殺し屋の話かと思いましたよ。
ブニュエルは難解なイメージでしたが、これは意味するところははっきりしないまでも、わかりやすかったです。
集団での心理的なことかもしれないなと思ったり。
オカピー
2019年09月28日 22:03
ボーさん、こんにちは。

>殺し屋の話かと思いましたよ。
誰しも^^
旧約聖書の引用らしいですが、僕ら普通の日本人が解るわけもない。

>ブニュエルは難解なイメージ
初期の「アンダルシアの犬」「黄金時代」、晩年の「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」「自由の幻想」などは前衛映画なので、解らないですよねえ。
勘ですよ、彼の映画を理解するのは。

>集団での心理的なことかもしれないなと思ったり。
テーマは複合的なのだろうと思いますが、僕も心理学を持ち出したくなりましたね。