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zoom RSS 映画評「ゴッホ 最期の手紙」

<<   作成日時 : 2019/05/04 09:43   >>

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☆☆☆★(7点/10点満点中)
2017年イギリス=ポーランド=アメリカ=スイス=オランダ合作映画 監督ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン
ネタバレあり

日本ではヴィンセント・ヴァン・ゴッホと表記することが多いが、本来の発音はフィンセント・ファン・ゴッホ。

そのゴッホの伝記的アニメであるが、作り方が少々変わっている。6万枚以上の油絵により作られているのである。油絵のアニメは初めて観るかもしれない。勿論タッチはゴッホそのもので、一部に有名なゴッホの作品を活用しているショット群もある。

前半生については半世紀以上前に作られた「炎の人ゴッホ」(1956年)のほうが解りやすいが、本作の面白さは、ゴッホが弟テオに宛てた手紙を届けていた郵便配達夫の父親にゴッホ最後の手紙を弟に届ける役目を託された息子アルマン・ルーラン(声:ダグラス・ブース)が、ゴッホが晩年を過ごしたパリ近郊の田園地帯を訪れることにより、彼の晩年を浮き彫りにしていくことにある。

尤もそれには脚本を書いた二人の想像の部分が相当にあり、弟テオとの親密な関係という史実の叙述に加えて、ゴッホの死が自殺でないのではないかという疑問を呈しているのが特徴。近所を探り回る探偵のようにアルマンを行動させることで事実上の歴訪型ミステリーとして展開しているのが興味深い。

台詞が多く眠くなりそうな部分も少なからずあり、お話として頗る面白いとは言いにくいものの、現在であるカラー部分はゴッホ・タッチで、回想であるモノクロ部分は見方によってモノクロ映画のように見える印象があるなど、視覚的な魅力を買いたい。

映画界では、臨終の時に使う“最期”を“最後”の意味で使うことが多くなっているが、良くない。“最期”は人や動物の命の“最後”であるが、“最後”は生命に関係しないからである。元気な6週間も前に出した手紙がどうして“最期の”になるのだ! 格好をつけて間違って使われている日本語の何と多いことか。チコちゃんに叱られるぞ。

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ゴッホ 最後の手紙
1891年、南フランス・アルル。 青年アルマン・ルーランは、郵便配達員の父ジョセフから1通の手紙を託される。 それは父の友人で1年ほど前に自殺したオランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホが、弟テオに宛てて書いたものだった。 テオを探すため、アルマンはフランス・パリへと旅立つが、意外な事実を知らされる…。 アニメーション。 ...続きを見る
象のロケット
2019/05/08 00:41

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