映画評「冷たい晩餐」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年アメリカ映画 監督オーレン・ムーヴァーマン
ネタバレあり

<カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2018>という映画祭で公開されたドラマ。僕の分類では未公開映画になる。

ヘルマン・コッホの原作は一種のミステリーでベストセラーだそうだが、映画化された本作からはその実力の片鱗が感じられない。

神経症を患っている高校の歴史教師スティーヴ・クーガンがその妻ローラ・リニーと共に一族会議をする為に上院議員の兄リチャード・ギアが予約したレストランにやって来る。ギアも後妻レベッカ・ホールを伴ってやって来る。弟は母親の愛情を独占してきたように思う兄に嫉妬し、話はどうしてもそこに流れて行きがちなのだが、今回の会合の目的はそれぞれの息子が起こしたある事件をどう解決するかということにある。

僕ら観客は四人の喧々囂々の討論を暫く観ることになるのだが、構成が甚だぎこちない。レストランの出す前菜、メイン・ディッシュ、デザート、食後酒に合わせてその討論が進めば、しんどいながらもしっかりした骨格の作品を観た感じになるのだが、その会食の場面に過去の兄弟の確執や昔の夫婦の会話、子供達の事件が明確な方針が感じられない形で、それもシークエンスによってはバランスを欠くまでに長くインサートされるので、ふらふらした展開ぶりになってしまうのである。

少年たちの犯罪は終盤まではっきりさせないほうがミステリアスで面白くなったと思うが、それはともかく、子供たちがATMボックスで寝ていたホームレスの老婦人を結果的に焼死させてしまうのが事件の真相である。
 高潔なギア議員は自分の考えた法案が通るかどうか以上に、彼の養子がYouTubeにその様子をアップした現状を考えると子供達の将来を考えればこそ真実を明らかにすべきと主張するが、彼以外の三人は反対する。散会後クーガンはキー・パースンである養子に刃を向けようとする。

作り方としては一向に感心できないのだが、頭に残るのは、差別特に消極的な差別という問題である。自分では差別主義者と思っていない人間にも、特に昨今、弱者が弱者故に権利を持ちすぎている(例えばインディアン利権などは映画でも描かれたように事実としてある)という逆差別の意識を持っている人が結構多いのではないか。逆差別の意識は消極的な差別と言って良いのか微妙だ。例えばクーガンは“兄の養子が黒人故の立場を利用している”と言う。ホームレス過失致死は本人たちが勘違いしているが紛れもない差別である。

解りにくい差別のほうが本当は問題なのかもしれないが、いずれにしても“家族”をテーマにしていると思える作品において、差別の問題が、眼目であるべき家族の問題より強い印象を残してはまずいのではないかという気がする。法案が通ったことを聞いたギアが欣喜雀躍する幕切れを見ると、“人とは何といい加減な生き物か”という感想も洩れる。結局何を見せたかったのかよく解らないという印象が強い。

冷たい晩餐より冷たい七面鳥(コールド・ターキー)を。コールド・ターキーは英語で麻薬の禁断(症状)のことなり。

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