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zoom RSS 映画評「今夜、ロマンス劇場で」

<<   作成日時 : 2018/12/21 08:55   >>

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☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・武内英樹
ネタバレあり

一部の不見識なパクリ論者以外には概ね好評である。理論派の僕には物足りないところもあるけれど、ミーハー以上の映画好きにもいや映画好きだからこそ楽しめる部分が多い。
 去る春盛んに宣伝している内容から推測して「カイロの紫のバラ」(1985年)を見ている洋画ファンにはどうかという印象を持ったが、その意味で期待していたところ年内に観られた。この映画を観る多くの観客は「カイロ」を知らないだろうが、本作が拝借した幾つもある作品の一本「ローマの休日」(1953年)はさすがに知っているだろう。「カイロ」も「ローマ」も知っている観客にもパクリ論者以外には受けているので、脚本を書いた宇山佳佑(「信長協奏曲」)は喜んだにちがいない。

現在。病院に長く伏せている元映画助監督・牧野健司(加藤剛)が、実体験を綴った未完成の脚本を看護婦(石橋杏奈)に読ませる。ここから舞台は昭和35年、彼が助監督だった若き時代(坂口健太郎)に移動し、彼が熱烈に愛着を持っている戦前の映画を貸し切りで観ているうちに停電が起き、そのヒロイン無国籍の美雪姫(綾瀬はるか)が現われる。
 主人公の名前は戦前映画界の恩人たる牧野家(マキノ雅弘など)と溝口健二の合体。そのまま健二でも良かったのにね。姫の名前は「隠し砦の三悪人」の雪姫からか? その他ポスターには高峰節子(高峰秀子若しくは美枝子+原節子)と志村敏郎(志村喬+三船敏郎)などという名前が出て来る。ガラス越しのキスは終戦直後の名作「また逢う日まで」へのオマージュ。

彼の所属する映画会社は大映ならぬ京映で、その社長令嬢(本田翼)に思慕されているのに雪姫に夢中だが、触れると消えてしまう運命の雪姫との経験をベースにしている為にビターエンドとして一度は書き終えた脚本の書き直しが上手く行かない。結局若者は映画界で大成せずに映画館を引き継ぎ、かくして時間は過ぎて病院の人となる。脚本の続きを読みたがる看護婦にせがまれて続きを完成させる。

予想外に終盤が上手い。序盤の“孫が見舞いに来るのに、倒れても起こさない”という看護婦の台詞を伏線にしているので、孫の正体は事前に解るも、その通りになる孫登場が却って嬉しいではないか。完成した脚本の内容が画面になる幕切れも気が利いている。即ち、主人公が映画のモノクロ画面の中にいてワン・ポイント・カラーのバラを美幸姫に渡すと画面全体がカラーになる。“色”を上手く生かして誠に鮮やか(総天然色だけに)と言うべし。

大半の人は全く気にしないと思うが、僕にとって本作は正に僕の好きな故事成語“九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く”と言わざるを得ない短所があるのが惜しい。言葉が全く昭和35年的ではない、これなり。
 ひどいことに、当時哲学用語としてしかなかった“世界観”が“作品世界”若しくは“作品設定”の意味で二回も使われている。この意味が普及したのは平成でも後半からではないだろうか。
 社長令嬢が美雪姫の放つ意外な言葉を聞いて“そうなんですね”と反応するのも失格。“そうですか”の“か”を疑問と勘違いした知識不足の人々がここ十数年の間に広めた措辞である。今でも50歳以上の人は営業人種を別にするとそれほど使わない。
 言葉を扱う脚本家がこれではいけない。言葉に対する意識が低すぎる。車や衣装がいかに昭和30年代風でも気分がすっかり現在に飛んでしまうではないか。
 明治時代の人が大正時代の言葉を話しても僕らにはその違いが解りにくいし、奈良時代の人々が明治以降の言葉を使ってもその時代の言葉では僕らは理解できないから、雅な言葉さえ使ってくれれば一向に構わないわけだが、時代が現在に近ければ近いほど特に口語・俗語については繊細にならないといけない。折角古い映画を勉強した後が伺えるのだから、この時代の映画から当時の言葉をもっと研究して脚本を書いてほしかったであります。

もう一つ。映画館の衰退した時代がほのめかされているのも事実に反する(まだTV普及率が低い。TVドラマは生放送が多く、映画に勝てるわけがないのである)。昭和35年は観客動員数は昭和33年、32年、34年に続く史上4番目の観客数(およそ10億人)、スクリーン数は史上1位を記録している。この後観客動員数は年々激減し、10年後に4分の1くらいになった(それでも現在の1.5倍くらい)。

何年か前、電話で外資系保険会社から電話がかかって来た。僕が“持病があるので保険は難しい”と答えると、相手が“そうなんですね”と答えたのでがくっとなった。驚いてほしかったのに共感・確認を表現する“ね”を使ったからである。個人的にこれが“そうなんですね”の初体験であった。その後営業の人はこれを使うことに気付いた。“か”が疑問と思われ相手に失礼になるかもしれない(実際には疑問の表現ではないから全く失礼ではない、寧ろ確認の意味で使えば“ね”のほうが疑問に近い)という発想で生まれた措辞らしいが、“ね”も話す相手によっては失礼になるということをお忘れなきように。

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今夜、ロマンス劇場で
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 今年亡くなった加藤剛最後の出演作品でしたね・・。
僕の子供時代にドラマ「大岡越前」(主題歌もよかった)で、一世を風靡しましたが、ハンサムという点では、同年代のロバート・レッドフォードなんかより遥かに美男子の俳優さんでした・・。

若い人に評価が高いこの作品!「カイロの紫のバラ」に「ローマの休日」「ニュー・シネマ・パラダイス」も入っていて・・。
僕は、パクリの定義としては、人口に膾炙していない隠れた名作などをそのまま、もしくは部分的に変更を加えるなどしてオリジナルと称することを指すと思っているので、この作品はオマージュとして観ましたが、厳しいというか狭量な映画ファンも多いでしょうね・・。

昭和30年代の邦画に関しては、監督の武内英樹よりもずっと多くの作品を観ているはずの僕の目にも、綾瀬はるかの水玉模様のスカートなど、美空ひばり張りの七変化は素晴らしく、存外に楽しめました。
北村一輝も、このメンツの中では演技力が際立っていてよかったです・・。ただ、仰る通り、台詞が幻滅ですね(笑)

>初耳なのに既知の内容のように言う そうなんですね”
職場の50代同僚と話題にしたことがあり、僕は、一切否定的なニュアンスを抱かせない自己防衛的な相槌だと言ったら、同僚曰く、自分にしか興味のない若者の「兎に角私の話だけ聞いてりゃいいのよ」感が満載の言葉だと(笑)・・。
「〜させていただく」の乱発同様、へりくだった言い方と勘違いしているふしもある。

仲里依紗版「時をかける少女」では、現代に比較的近い70年代ということで、それほど言葉遣いの違和感はなかったですが・・。
浅野佑都
2018/12/21 14:57
浅野佑都さん、こんにちは。

>加藤剛最後の出演作品
病院の場面で加藤剛が出て来たので、そうかこれが遺作かと思い、感慨をもって観続けました。
 本当に二枚目でしたね。日本の俳優の中では一番かな。「忍ぶ川」があそこまで心を打つ作品になったのは彼のおかげでしょう。
 時代劇の中でも「大岡越前」が断然ご贔屓でした。当時高校で愛妻を演ずる宇津宮雅代が人気がありました。前高ではどうでしたか?

>パクリの定義
大体そんなところであると思います。尤も例外があって、歌謡曲などで洋楽から拝借する場合、洋楽ファンでは有名であっても歌謡曲しか聞かない人には知られていないことがあり“隠れパクリ”と言いたくなる場合もあります。但し、僕はパクリであっても文化の発展には必要な悪であると思い、肯定的に捉えますが。さもなければジャンルというものは成立しないわけであり…
 また、「凡人は模倣し、天才は盗む」とも言っているピカソの解釈に従えば、狭量の人々が言っているのは模倣であってパクリでなくなりますね。

>一切否定的なニュアンスを抱かせない自己防衛的な相槌
同意します。今の若者はこればかりですよ。SNSが出来る前、1990年くらいからこういう傾向が始まったと思いますが、SNSで“空気を読む”ことが美徳とされる時代故にこの手の発想が益々多くなりましたね。
 最近では、断言できるところでも“かな”を付けて話すことが流行っていますね。僕が初めて気にしたのは4年くらい前の大谷選手のインタビューからですが、どんどん増殖中で今年の日本シリーズや日米野球を見ていたら、選手・解説者・ゲスト解説者で使わない人は一人もいませんでした。どこかのCMを模倣すれば、言葉の意識が低すぎ君です(笑)。やれやれ。
オカピー
2018/12/21 22:33

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