映画評「ほとりの朔子」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2013年日本映画 監督・深田晃司
ネタバレあり

昨年「淵に立つ」が放映された時一緒に録画した深田晃司の監督作品だが、かの作品が良い作品と思いつつ重苦しい内容だったので二の足を踏んで、今日まで観ずにいた。ところが、見始めて暫くしてニヤニヤする僕がいた。その理由は後述する。画面はスタンダード(4:3)。Allcinemaのコメントにあるような1:1ではない。1:1は余りに特殊で窮屈感を催すが、4:3は昔のTVと同じだからそんなことはない。

夏休みの期間。大学受験に失敗したガリ勉少女・二階堂ふみが、血の繋がらない美人の伯母・鶴田真由と、もう一人の伯母・渡辺真起子の家に二週間の予定で滞在する為にやって来る。渡辺伯母は海外旅行で家を空ける。一緒に来た鶴田伯母はインドネシア語の小説を翻訳する予定である。近くには鶴田伯母の訳あり関係らしい男・古館寛治が経営するラブホテルがあり、大学生になるその娘・杉野希妃や福島から疎開している高校生の甥・太賀と知り合う。突然これまた伯母と関係のある大学講師・大竹直もやって来て、ふみちゃんはこれらの人物と交流することで、密かに進路を決め、塾に通う決心をして先に帰って行く。

さて、問題。僕は何故ニヤニヤしたのか。
 ヒントは題名にある。1983年にエリック・ロメール監督が作った「海辺のポーリーヌ」の邦題から戴いているのである。
 かく言う僕とて題名でそれが分かったわけでなく、日時(時間はありませんがね)を示して何気ないエピソードを日記のように綴り進めていくスタイルから、人物の交え方、多めの台詞、部分的に即興と思われる演出手法など殆どそのままだから、3日目辺りからニヤニヤし始めたのである。

ロメールの作品よりは雑多なテーマを散りばめ、福島や反原発も扱われているが、AllcinemaのH氏が言うような左翼的な主張など微塵もない。寧ろ反対で、“福島出身だから可哀想”といった固定観念に太賀少年は寧ろ苛立ちを感じるわけであるし、ふみちゃんにしてもそうした活動を醒めた目で眺め、結果的に他所の国(インドネシア)の為に何か役に立とうとしている鶴田伯母に“他国のことは解りきらないはずだから、意味がないことではないか”という主旨の疑問まで投げかける。しかし、伯母は“自分には解らず、他者だから解ることがある”と理知的に答える。この会話が些かやさぐれていた少女をして塾通いを決心させるような気もする。

全体としては一々挿話を回収しないロメール型の展開ぶりで、こういうスケッチを連ねる映画もたまには良い。恐らくは、こうした作品の良さが解るのは映画経験を積んだ映画ファンにほぼ限られる。二階堂ふみのPVなんて言っているようでは全く鑑賞力・審美眼がないと言わざるを得ない。ロメールの二番煎じなので☆★は抑えるが、肩の力の抜けた佳作と言うべし。

90年ほど前に晩年の芥川龍之介は「話らしい話のない小説」から得るところを説いた。こういう映画に対する大衆の反応を見ると、泉下の芥川は「100年経っても進歩がないね」と嘆いているだろう。

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