映画評「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年アメリカ映画 監督ジャン=マルク・ヴァレ
ネタバレあり

今年に入って「追憶の森」「永い言い訳」と妻を交通事故で亡くした夫君のその後の心理と行動を描く作品を観たが、これもまた同工異曲である。内容は「永い言い訳」に近い一方、「追憶の森」で亡くなる妻を演じたナオミ・ワッツが夫君と出会う女性に扮して登場するのが興味深い。製作準から言えばこちらのほうが古い模様。

細君(ヘザー・リンド)の父親クリス・クーパーの投資会社で働いている青年ジェイク・ギレンホールが、ある日妻の運転する車で移動中に交通事故に遭う。自分は生き残り、妻は亡くなるが、「永い言い訳」の作家と同様に泣くことができない。かくして自分が妻を愛していなかったと思い込む。義父は心を一度分解してみると良いと言う。しかし、彼が分解し始めたのは機械である。その初めが妻が故障していると言った冷蔵庫であるのは、直前彼女が「無関心だ」と言った対象への潜在意識的な反応であろう

機械を壊し続けるうちに彼は怒りを発散する為に家にある物もしくは家そのものを破壊し出す。目的が変わるのである。並行して、妻が亡くなった病院の自動販売機の不具合の件で、自販機会社へクレームの手紙を出す。彼が変わっているのは、販売機の不具合に合わせてその直前に起きた交通事故のことを綴り、その後も心情を綴る手紙を書き続けることである。
 これが気になったのは、会社でクレーム担当をしているナオミ・ワッツで、シングル・マザーの彼女は思春期らしい過激さを発揮する息子の行動に密かに悩んでいる。やがて悩める者同士の交際が始まる。自分の内面がよく掴めないでいるギレンホールは名状しがたい不満を抱えているような少年と気が合い、結果的に少年の心を開放し、彼自身も少年により開放されていく。
 彼は妻の生前の意思により学生を援助する財団創設に賛同できない。義父は壊れた彼の行動が理解できず、縁を切ろうとする。しかし、少年との交流で半ば再生し、妻が車に残した愛情溢れるメモ書き(=邦題)を見て初めて落涙する。そして、義父に(学生ではなく、ダウン症の子供を救う財団を作ろうと)新たに提案するのである。提案内容を括弧付きにしたのは、後から判る、若しくはそう想像できるからだ

監督に当たったジャン=マルク・ヴァレは、旧作「ダラス・バイヤーズクラブ」も佳作で、才覚を感じる。場面やカットの繋ぎの呼吸が良く、非常に見やすい。省略が多い為に分りにくいところがあるのも確かだが、それと映画的な見やすさは余り関係ない。

邦題に関して批判も目立つが、僕はかなり買う。つまり、この映画の控えめなハイライトを表現しているからである。即ち、
 生前、細君は車のサンバイザーの裏に邦題の内容を綴ったメモを張る。それが実に洒落ているのは、サンバイザーは晴れないと下さないので晴れた時にメモを読ませるという目的と合致した内容であるということ。そして、そこに無関心・無感動のように思われる主人公に対する妻の愛情が強く感じられる次第なのである。
 しかも、この監督は二段構えでそれを見せる。映画の後半の最初くらいで彼は内容を確認せずにそれを取り去って下に捨てる。映画の終盤で彼はそれを拾って、内容が琴線に触れて初めて涙を引き起こす。二段構えにしたところが表現として実に巧いのである。だから、安易に大衆に迎合した邦題と思わないほうが良い。

【Yahoo!映画】にある、時間の無駄といった評価は、そもそも人間の内面に関心のない人が観るからそういうことになる。彼もしくは彼女がきっと期待した安易なお涙頂戴ものか甘いだけの恋愛映画を観る方が、実際には、余程時間の無駄でござるよ。

「甘い恋愛映画は見ない、大人は内面を描く映画を見る」てなものさ。

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