映画評「J・エドガー」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2011年アメリカ映画 監督クリント・イーストウッド
ネタバレあり

クリント・イーストウッド監督の最新作(近年はかなり多作なので、劇場公開の凡そ1年後に僕が観る時はそうでなくなっているケースもある)は、悪名高きFBIのフーヴァー長官の伝記映画である。

ある人も仰っているように、いかに主要登場人物の殆どが故人とは言え、こうも露悪的にその国を代表する要人を描写できるアメリカ文化の度量の大きさに驚く。日本では作家が一生懸命調査しても現代劇では実名は使わず、言い訳の余地を作っておくつまらなさがある。「不毛地帯」(1976年)を見よ、「金環蝕」(1975年)を見よ。それら(原作)は小説であって、ノンフィクションではないと言ってしまえばそれまでだが、寧ろ栄誉ある立場なのに先日の「はやぶさ 遥かなる帰還」にしても少なくとも博士の名前は実名ではなかった。人名に限らず固有名詞の使用に関する日本の映画の慎重さには甚だ失望させられる。

1919年、司法省に勤める24歳のジョン・エドガー・フーヴァー(レオナルド・ディカプリオ)は違法行為を働く外国人を追放して共産主義者のテロから国を守ることに成功、捜査局(後のFBI=連邦捜査局)部長に、24年に局長に抜擢される。

FBIの権力強化には色々な事件が必要であったというのは60年代回顧録を口頭筆記させる老フーヴァーの言を引用するまでもなく、その中で1932年に起きた有名なリンドバーク愛児誘拐事件はそれまで捜査権の及ばなかったところにまで権限を拡張するリンドバーグ法制定の契機となり、35年のFBI成立へと繋がって特に重要なものとしてじっくり扱われている。また、後に捜査手法として定着する指紋に異様に拘り科学的捜査手法を導入していく辺り刑事映画ファンには面白いだろう。

映画は回顧録を書かせている1960年代から70年代初めの老フーヴァーと1919年から30年代の若き彼を頻繁に往復する手法で描いていて、所謂回想形式の伝記映画ではなく、そこに後述する捻りがある。

20年代禁酒法により台頭したギャングたちの掃討などを当時の映画や映画俳優を交えて描いているところが映画ファンとしては興味深い。画面に登場するのはジンジャー・ロジャーズや子役時代のシャーリー・テンプル、ジェームズ・キャグニーの映画数本。名前だけ登場するドロシー・ラムーアとは結婚する気でいたらしい。

対する老年部のほうではケネディー大統領のスキャンダル録音を保持し、キング牧師潰しに奔走し、ニクソン大統領にウォーターゲート事件を起させる遠因を作る。

フーヴァー(大統領)からニクソンまで色々な大統領の名前が出てくるので、彼がいかに長く長官をやっていたか変な感慨も出るし、ちょっとした20世紀アメリカ史概観の様相さえある。特に、ロシア革命における激しいテロにより世界各地で社会主義への異常な怖れと嫌悪が始まるわけだが、第2次大戦後社会主義がテロから切り離された後もアメリカ人が現在まで連綿と持ち続ける社会主義への異常な嫌悪感は、1919年のフーヴァーにより行なわれた強硬な施策の後遺症ではないかと、解ったような気分になる。

と、ここまでは公的部分のフーヴァーであるが、それに並行して、或いはそれ以上に重要な要素として彼の人間描写が扱われている以上、本作を語る上で私的部分を避けるわけにはいかない。下手なことを言うとすぐに批判されるので表現には気を付けないといけないが、指紋への拘り方を見ると彼もまたアスペルガー症候群に極めて近い人物だったようである。

彼の人格形成に欠かせないのが母親(ジュディー・デンチ)との関係で、恐らく彼が一番愛した女性であり、一番嫌った女性ではなかろうか。それは同性愛傾向の為である。早口で吃音傾向のある彼を矯正し厳しく躾けたことが彼をアメリカ有数の有名人にした事実である一方、必然的に同性愛傾向や女装趣味を厳しく封鎖しようとした故に彼は母親を深く愛し同時に強く憎悪しなければならないという屈折があったと思われる。
 映画は序盤に半世紀も秘書を続けたヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)にプロポーズする様子を入れているが、母親に迎合する打算であろう。上記ドロシー・ラムーアについてもほぼ同じ理由で、既に同性愛的関係に入っていた相棒的部下クライド・トルソン(アーミー・ハマー)から猛反発を食らっている。あのいかついフーヴァーの同性愛など想像だにできなかった。

画面が丹念に描写してきた戦前の経歴部分が全てフーヴァーの主観描写で、実は嘘が相当混じっているという捻りが、過去と現在、公と私両面から並行して描いてきた趣向により大いに生かされている為単なる伝記映画を越えた面白味があるのは確かだが、反面、人間ドラマとしてこれほど感銘を起さない作品も珍しい。よく言えば観照に徹していることになるものの、何だか物足りない。
 脚本のダスティン・ランス・ブラックや監督のイーストウッドというよりは、選んだ人物に問題があるということである。

TVで見る範囲ではディカプリオは熱演で特殊メイクも上等。大半が老人として出演するお気の毒なナオミ・ワッツのメイクも良いが、何故かアーミー・ハマーのメイクは拙い。同じ映画でどうしてこういう差が起こるのか謎であります。

フーヴァーの名称で思い出すのはダム。ダムで思い出すのは公共事業。公共事業で思い出すのは我が邦の新政権。確実に起こるのは2014年4月の増税。後は野となれ山となれ。かくして、日本人の平均寿命はどんどん短くなって行きそうですな。

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この記事へのコメント

2012年12月29日 14:56
役者は皆うまかったですが、期待したより話全体がこじんまりしていた感じがありましたね。同性愛や混血疑惑という、フーヴァー長官の個人的な側面が主題だったのでしょうけれども、わりとあっさり触れただけだし、ミステリであれば反則と呼ばれるであろう回想場面の描き方までしているけど、最後でさほどおどろきにはつながらなかったです。個人的な部分はおかず程度にして、FBI長官としての活動をメインにしたほうがおもしろかったんじゃないでしょうか。そういう映画はイーストウッドよりは、オリバー・ストーンのほうが上手かもしれませんね。
オカピー
2012年12月29日 22:07
nesskoさん、こんにちは。

>ミステリであれば反則
どんでん返しというより、人格の問題を表現する為の手法だったのでしょうね。

>オリバー・ストーン
この作品の真のテーマを掴むのは難しいと思います。
何回見ても解らないような気がしております。
過去の人物を通して、アメリカの現在から未来について語ろうとしていたのかもしれませんね。
ねこのひげ
2012年12月30日 07:12
クリント・イーストウッドの監督作品は、暗く重厚な考えさせる作品が多いですね。
俳優の時、軽い役が多かった反発かな?
年を取って人生を考えるようになったか?

今年、ひさしぶりに俳優として『人生の特等席』に出演してます。
良い映画です。
オカピー
2012年12月30日 17:16
ねこのひげさん、こんにちは。

多分俳優として出演した「ダーティハリー」など幾つかの作品が示してきた正義であれば手段は選ばないというアメリカ的思想について、1990年代頃から考えるようになったのではないでしょうか。それが最終的に「グラン・トリノ」という成果につながったという気がしています。
本作もそれと関係があるような気がしていますが、「グラン・トリノ」に比べると言わんとしていることが解りにくいであります。

>『人生の特等席』
俳優はリタイアという宣言を取り消したわけですね。
僕としては俳優イーストウッドが結構好きだから、歓迎致します。

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