映画評「復讐するは我にあり」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1979年日本映画 監督・今村昌平
ネタバレあり

60年代からTVで活躍していた緒形拳は映画界でも70年代半ばから凡そ10年余り変幻自在の演技で僕を魅了した。当時はそんなことは思いもしなかったが今思い返せば、観客動員数はともかく、恐らく何回目かの日本映画の黄金時代であった。その後も出演作は多かったが、90年代に入ると徐々に助演級が多くなって彼の力量にふさわしい主演映画がなかなか見られなくなり寂しい思いをしていた。そして、1週間ほど前に71歳という若干早い年齢でこの世を去った。
 2年前に今村昌平が亡くなった時追悼鑑賞することが出来なかったので、両者の代表作である本作で併せて見送ることにしたい。

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長崎の五島列島に育ち5人の男女を殺して死刑になった西口彰の逃亡生活を佐木隆三が綴ったドキュメンタリー小説の映画化で、映画では榎津巌という名前に変えられ、逮捕に至る経緯などは事実と異なる映画的設定が取られている。

昭和38(1963)年、榎津(緒形)は運送会社勤務時代の知人である専売公社職員二人を次々と殺害した後各地に出没する。北海道で弁護士を騙って保釈金をネコババ、その時知り合った老弁護士(加藤嘉)を殺害し、京都大学教授を名乗って浜松市のあいまい宿女将ハル(小川真由美)と懇ろになるが、正体がばれた後も親しくしていた彼女と老母も殺害。翌日、以前宿に呼んだ娼婦(根岸とし江)に街角で目撃されて逮捕されるに至る。

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というお話が逮捕された後の彼が刑事(フランキー堺)に告白する回想形式で展開されるが、特に元来詐欺犯罪に手を染めていた男なのでその得意技を大いに活用して逃亡生活を綱渡り的に続けていく様が大変面白く描かれている。

父(三國連太郎)との確執も極めて興味深い。
 父親は五島列島から長崎に出て旅館を経営するキリスト教徒なのだが、露天風呂での接触を始め、息子の嫁(倍賞美津子)と精神的姦通をしてしまう(父親本人の言うように一線は越えていないと思われる)ような偽善的なところがある。こうした偽善は戦時中の船舶供出の時の生ぬるい態度にも表れていて、結果的に父親やキリスト教に代表される権威に対する主人公の異常なまでの不遜を作り上げてしまったのではないか。

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あいまい宿母娘殺害は理由が解らない。本人が「解らない」と言うのだから誰にも判る筈がないのだが、だからこそ人間心理の奥深い不気味が滲み出てくる。男がキスをしながら絞め殺そうとし、末期の女が尿を漏らす様子を俯瞰で凝視する。内臓を抉り出すように人間そのものに肉薄し、その原罪を浮き彫りにしようとする今村作品の凄みはこういうところにある。
 もう一つ感心させられたのは、最初の殺人を犯した後手にこびりついた血を自らの小便で落とすエピソード。彼の野卑で不遜な性格を的確に表現し、血と不浄な液体にまみれる作品の性格をも早くも決めてしまうのだ。

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無慈悲に殺人を犯す主人公は確かに恐ろしい。しかし、これで終わっては並の犯罪映画なのであって、正体が掴めぬ彼の、とどのつまり人間の、心の闇の方がもっと怖いと思わせていくのがこの作品の境地であろう。

今村昌平が日本どころか世界でも屈指の巨匠であり、緒形拳も日本映画界を代表する俳優であったことを改めて確認させられた。

謹んでご冥福をお祈り致します。

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この記事へのコメント

2008年10月19日 19:30
きのうでしたかウチへ初めての
訪問者からのコメントで(「櫻の園」
記事への)「昨今、俳優の顔が違う」と。
「櫻の園」で10年ちょっと前、
本作なら30年前ですものね~。
緒形さんをはじめ三國や倍賞、フランキー、
小川、清川、加藤等々、役者の
顔つきまでもパワフルだった邦画界。
監督も役者もどんどん逝ってしまって、
寂しい限りですわね~。
でも今村監督も緒形拳もいい時代を
駆け抜けたんではないでしょうか。
彼らの素晴らしい作品群を観るたびに
ありがとう!と感謝を捧げつつ
鑑賞させていただいております。
オカピー
2008年10月20日 01:01
viva jijiさん、トラコメ有難うございます。

諸悪の根源はCGを含めてコンピューターとデジタル技術ですね。
SFXは決して目的となることはなかったけれど、CG(VFX)は目的化した。素晴らしいCGを見せる為の着想に頼るようになった。これでは作品の質は自ずと下がる。CGを使うのは構わないけれど、一流でないとCGに使われてしまう。

また、合成はSFX時代からありましたが、基本は俳優若しくはスタントマンがやる。そこに演技を超えた真実もありましたよ。
「蜘蛛巣城」で三船敏郎は20本ほどの本物の矢を顔面近くに受けました。昨日観た「PROMISE」ではいかにも絵と言った数千本のCGの矢が飛んでいく。本数は多くとも20本の本物の迫力に勝てるはずはない。三船の恐怖は演技ではなく多分本物です。俳優の顔もこうして作られていったのでしょう。
オカピー
2008年10月20日 01:10
つまらない話で恐縮ですが、続きです。

編集もコンピューターですからミスをしても平気。記録もビデオが多くなってコストが下がった。俳優もスタッフも失敗したら「ごめん」で済んでしまう(多分多くのスタッフは済まない、笑)。

こんな緊張感のない状態で、良い映画が作られ良い顔の俳優が育つはずもない。勿論例外はありますけど、現在のハリウッドや邦画メジャー映画の製作手法ではフィルム時代の映画の興奮は二度と戻って来ないでしょう。

個人的には90年代以降の作品は殆ど要らない。
「櫻の園」は要ります(笑)。
シュエット
2008年10月23日 15:27
今度、大阪の場末の映画館で今村昌平監督特集があるんです。全作品依拠上映。そのまえに緒方拳の追悼で本作を再見しましたが、、ここまでの凄みと人間の業に迫った映画だったことにあらためて圧倒されました。
>最初の殺人を犯した後手にこびりついた血を自らの小便で落とすエピソード。
何気なく描かれたこのシーンにもドキリとさせられました。こういう映像が随所に。
記事にしようかと思いつつ、なかなかうまく言葉が出てこずに記事アップしてなかったけれど、してなくって良かった。P様の文章で十分。とても力がこめられたレビューと感じましたが…
シュエット
2008年10月23日 15:33
上でJiji姉も書いているけれど、緒方拳と三国連太郎の眼と眼が対峙するあの緊張感。小川真由美、倍賞美津子などなど、本当に役者の重量感が違いますね。あと眼の力が違う。これが作品に凄みと緊張感をもたらすんでしょうね。緒方拳がNHK大河ドラマで木下藤吉郎役の緒方拳が織田信長をしっかと見つめたあの眼の強さを思い出します。
オカピー
2008年10月24日 01:20
シュエットさん、さらに(笑)こちらにもコメント有難うございます。

>とても力がこめられたレビューと
馬力のある映画ですから、こちらも思わず一生懸命書いてしまいますよ。
今村昌平のカテゴリーを作りながら代表作について全く触れていませんでしたしね、これはちゃんと書かないといけないと、ということです。

実際にはちゃんとは書きましたが上手くは書けませんでした。フェリーニも今村も書くのが難しい作家ですよ。
今村ならviva jiji姐さんかスコセッシに語ってもらうのが一番、てか(笑)。

>役者の重量感
三国連太郎は「飢餓海峡」でも圧巻でしたし、犯罪絡みで迫力を出しますねえ。「釣りバカ」でお茶を濁している場合じゃなかろうに(笑)。
小川真由美はTVの「女鼠小僧」で三国と共演していますが、本作の演技はベストじゃないですかね。
倍賞美津子・・・姉さんの千恵子は繊細な演技が得意ですが、彼女は体もしっかりしているし、豪快な女優。
最後に、この作品が公開された頃僕は緒形拳に陶酔していましたよ。本当に凄かった。
シュエット
2008年11月10日 14:09
先日、スクリーンで観たので、なんだかまとまりのない感想文になってしまったのですが、ともかくも記事にしました。
これを観たあと「楢山節考」を見て、親思いの心根の優しい長男の緒方拳がいて、公開時に劇場で観ただけで、山頂の夥しい骸骨と正座した坂本スミ子は記憶に残っていたのですが、お山へいく道中がこれほど苛酷なものとして描かれていたのかと、記憶のいい加減さにあきれます。今日は帰りに時間間に合えば「女衒ZEGEN」を観にいこうと思ってます。また違う緒方拳がいるでしょう。
しかし今村作品の女たちの現実感のある強さ!女がみせるこのしたたかでしなやかな強さを今村昌平は惹かれるところがあったのでしょうね。
シュエット
2008年11月10日 21:32
訂正!
緒方拳さん→緒形拳さんです。
コメントついでに、先ほど「女衒ZEGEN」観てきました。
いやぁ、「復讐するは我にあり」は弱さと捩れた感情を持った一人の男、「楢山節考」では寒村の中で黙々と土を耕す農民、そして「女衒」では御国のため天皇陛下のため、大義に滑稽なまでに猪突猛進する一人の日本人と、三者三様の緒形拳を観てきました。「女衒」でも女房役の倍賞美津子のでんと構えた強さ!彼女も得がたい女優ですね。
オカピー
2008年11月11日 01:05
シュエットさん、こちらへもTB&コメント有難うございます。

>なんだかまとまりのない感想文になってしまった
先ほどざっと読ませて戴きましたが、思いの丈がよく伝わってくる記事でしたよ。
僕の淡々とした大づかみ映画評などを読んで喜ぶのは10人中一人くらいじゃろうて。^^;

>記憶のいい加減さ
いやいや、モノクロと思っていた古い映画が久しぶりに観たらカラーだったこともあるから、僕も相当いい加減です。
「勝負師」のジェラール・フィリップは破産すると思ったのに、破産したのは別の人だったり。少年時代に結構感動した作品なのにな。

>女がみせるこのしたたかでしなやかな
今村昌平の描く女性は皆そうですね。「赤い殺意」の春川ますみなんか鬼気迫って、凄かったですたい(復讐するは・・・」でのコメントだけに)。

>先ほど「女衒ZEGEN」観てきました。
凄いパワーですね。
益々衰えぬ映画への想い。
viva jijiさんもびっくりしていますよ、きっと。
2008年11月14日 01:02
オカピーさん、シュエットさんのところから、姐さんのところにコメントして、こちらにまいりました。
今村昌平は、素晴らしいですね。わたしはイタリアのネオ・リアリズモを日本の犯罪映画にしたものだと思っています。
特に「にっぽん昆虫記」とヴィスコンティの「若者のすべて」は、まったくおなじテーマだと、ずうっと思っていました。そして、山田洋二の「息子」と「学校」。
まったく異なるようで、まったく同じように思うんです。
さて、「復讐するは我にあり」 ですが、こちらの批評文とシュエットさんのところのオカピーさんのコメントで、わたしの感想が全部記されているので書くことがありませんよ(笑)。
強く印象的だったのは、三国連太郎と倍賞美津子の関係でしたが、凄いですね。人道もロマンもない。オスとメスです。それも両者とも物凄く魅力的だから、やりきれない・・・。
では、また。
オカピー
2008年11月14日 20:16
トムさん、こんばんは。

>「にっぽん昆虫記」と「若者のすべて」
個人(下層階級)を社会との関係のうちに見出す目的意識が共通しますか?

僕の印象では、今村は人間の内面に徹底して潜っていきながら社会を透かし出し、ヴィスコンティは社会を前提に個人を描き出す、という手法的な違いがあるような気がしますが、帰納法と演繹法の違いに似ながら(実は手法的にもさほど差がなく)、本質は同じのかもしれませんね。

>「息子」と「学校」
この二つ同士が同じテーマと意味だと思いますが、
個人と社会の関係の把握が「息子」が「昆虫記」、「学校」が「若者のすべて」に似た感じがします。
そういうことじゃない?(笑)

>三国連太郎と倍賞美津子の関係
キリスト教的に言えば、これが人間が生まれて以来持携えている原罪なんでしょうね。全てがこの父親の偽善から始まったのかもしれないと思うと、父親の存在意義の大きさに呆然としてしまいますね。
2008年11月15日 03:00
オカピーさん、連コメ失礼します。
>同じテーマ
なるほど、オカピーさんの体系づけも、何だか説得力がありますね。
今回のわたしは、結構、単純に共通項にしてしまっています。
山本薩夫監督の『あゝ野麦峠』もそうかな?
え~っと
「にっぽん昆虫記」左幸子、「若者のすべて」アラン・ドロンとパロンディ一家、「息子」三国連太郎から永瀬正敏の世代にかけて、「学校」田中邦衛、「あゝ野麦峠」大竹しのぶ、原田美枝子等
主人公がみんな「元」農民だということです。そして、彼ら、彼女らのその「現在」が何と苦労の多い人生なのか、という共通点でしょうか?
彼らが、未来に展望を持つとすれば、「キューポラのある街」の吉永小百合になり、その展望が壊されると、「太陽はひとりぼっち」のアラン・ドロンのピエロになっちゃう。
このピエロが、まさに現代人かな?と・・・。
オカピーさんは、どう思います?
オカピー
2008年11月15日 16:22
トムさん、こんばんは。

あはは。
トムさんだからと穿った見方をしてみましたが、
全然違ったようですね。^^;

>主人公がみんな「元」農民だということです。
なるほど。
物質文明を前提にした物語ということになりますかね。
「ああ野麦峠」は、日本人全般がまだ物質的欲望に毒され切っていない過渡期の物語だから、これが進むと「にっぽん昆虫記」になるわけですね。

>このピエロが、まさに現代人かな?と・・・
本作の主人公のように、正に心の空洞化した人間。その不毛な感じをアントニオーニが上手く出したのがあの作品でしたね。
ただ、今村作品では【薄汚い欲望が人間を生かしている】という印象が他の監督より強く滲み出て、一種の感銘さえ与えるような気がしますが、如何?
トム(Tom5k)
2008年11月15日 20:14
オカピーさん、どうも。

>全然違ったようですね。
いえいえ、そんなことはない。
結果的には、おっしゃっているように

>個人(下層階級)を社会との関係のうちに見出す目的意識・・・
多くの映画で描かれているのは、ここのところになるんじゃないかな?

>物質文明を前提にした物語・・・
どんどん物質の文明になっていく過程、こういうテーマで映画のシリーズも考えられそうですね。

>心の空洞化した人間。
アントニオーニも今村も本当にうまく現代人を描いている。
トム(Tom5k)
2008年11月15日 20:15
>【薄汚い欲望が人間を生かしている】
日本の昭和は、だから逆に展望もあったし、希望を持つことが可能だった。あれだけ暗い今村の作品に何がしかの未来が読み取れるのは、このエネルギーがみなぎっているからなんでしょうね。だから、われわれも何か感銘を受けるんでしょうね。
むしろ、平成の現代は、アントニオーニの予兆の通りかも・・・
要は、文部科学省じゃないけれど「生きる力」なんじゃあないかな?この力がなきゃ、何にも始まりませんよね。

それから、「にっぽん昆虫記」の吉村実子と「家族」の倍賞千恵子、両作品のラストシーンの彼女たちのクローズ・アップ、全く同じに見えるんです。
みんな、お百姓に回帰するとあのような素晴らしい表情になるのかな?。「若者のすべて」のドロンも「息子」三国も「学校」の田中邦衛も「ああ野麦峠」の大竹しのぶも原田美枝子も、みんな、あの表情を持っていたのに失っちゃったんだろうな。
では、また。
オカピー
2008年11月16日 14:21
トムさん、コメント有難うございます。

>多くの映画で描かれているのは、ここのところになるんじゃないかな?
そうですけど、その関係を強く意識しているかいないかという差は歴然とあるような気がします。
所謂社会派エンタテインメントなどと言われる作品では、社会から個人が浮き上がってきません。ゲーム的に人間を扱っているからでしょうね。

>日本の昭和は、だから逆に展望もあった
欲望と言うと、否定的な言葉に聞こえますが、そうとも言い切れない。欲望は人間の糧ですよね。
だから、一見対照的に見える「キューポラのある街」と「にっぽん昆虫記」が通奏低音を響かせ、共通するエネルギーを感じさせるのでしょう。

>あの表情を持っていた
1990年代、通訳として中国の工場へ製造技術指導に行ったことがあるのですが、その時我々を迎えた工員たちの目がぎらぎらに輝いていたことを思い出します。
トムさんの仰る表情とは違うかもしれませんが、未来に期待をかける表情(目の輝き)が大変印象的なのでした。

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