映画評「白痴」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1951年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり

僕がロシア語ロシア文学を専攻したのはプーシキン、ツルゲーネフ、チェーホフが好きだったからで、大御所ドストエフスキーとトルストイについてはそれ程詳しくない。悪しからず。

さて、本作は黒澤明が長編第12作としてそのドストエフスキーの代表的長編の一つに果敢に挑戦してある意味挫折し、ある意味かなり成功した作品である。挫折したというのは映画会社(松竹)の指令で4時間25分の長尺を2時間46分に短縮しなければならなかったことを指す。

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戦犯になりながら死刑を免れた時のショックで白痴になったと自称する復員兵・亀田欣司(森雅之=ムイシュキン公爵)は少なからぬ財産を持つ豪快な青年・赤間伝吉(三船敏郎=ロゴージン)とご列車の中で知り合い、赤間が追いかけている囲われ者の美女・那須妙子(原節子=ナスターシャ)の写真を札幌の写真館で見て、その悲劇を予感させる美貌に圧倒される。
 亀田は親戚の大野家にお世話になり、周囲が馬鹿にする中、若輩ながら誇り高い令嬢綾子(久我美子=アグラーヤ)の理解を得ることになるが、赤間の家で傲慢な妙子が純真な亀田と結びつけようとしていた綾子と実際に会ったことから、この四人の運命は悲劇へ突き進んでいく。

我々はあくまで166分バージョンで判断しなければならないわけだが、カットの影響を明らかに感じるのは第一部の前半である。二か所の長い字幕で説明された部分が大幅にカットされているものと推測される。また、資産家の息子・伝吉と実は大牧場を相続している欣司の間をうろつき回る弁護士(左卜全)が列車の中で出会ってはいるものの暫くは何者かよく解らない印象に終始するのもそのカットの関係と思われる。

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それ以外は比較的無難に展開できている気がするが、このお話の真意はどこにあるのだろうか。
 主人公亀田欽司はまともな精神を持っていないが故に純粋で極めて美しい心の持ち主である。キリストにも比肩すべき人物である。幕切れ近く、彼が発狂した伝吉の手をさするショットは映像上はっきりとそう思わせる。しかし、人類に調和をもたらす為に舞い降りた現代のキリストは、人々の欲望渦巻く現実の前に全く無力であり、為すすべもなく精神病院送りになるしかない。作者の人間不信というより、人間の存在そのもののとてつもなく大きな闇を描いていると言って良いだろうが、僕ら一般大衆にすれば高尚過ぎてピンと来ないテーマでもある。

一方、スクリーンに投影される部分から受ける印象は、無国籍アクションならで無国籍ドラマということに尽きる。北海道、それも冬の北海道を主な舞台にしてとにかく日本らしさをなるべく排除しようとしている。その狙いにおいて下で多少触れる主役四人の配役は絶妙至極。いずれも典型的な日本人の顔とは言いにくいバタ臭い容貌で、当時ならずともこれ以上の配役は考えられない。困るのは、志村喬、東山千栄子、千秋実といった準主役クラスが登場すると途端に日本的世界に引き戻されることである。しかし、いずれも演技的には見応え十分。

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主役四人の中では、通常清涼剤的な役目を負う久我美子が、バランス的に亀田の森雅之と拮抗、大抜擢の印象が強い。第2部前半の豹変する演技の面白さ、ライバルに当たる原節子との丁々発止の演技合戦。大変充実している。
 眉を薄めにしたのだろうか、恍惚とした表情を印象付ける森雅之は無論圧倒的。先日の「あにいもうと」とはまるで正反対の純粋無垢な青年をいとも易々と演じきっている。邦画史上屈指の名優である。
 原節子の傲慢不遜で時々脆弱さを見せる演技も素晴らしい。三船敏郎はその点若干パターン化された演技で物足りないが、力演と言える部類。

最も洋画的な邦画として思い出される「安城家の舞踏会」を撮った実力者・生方敏夫の撮影も優秀。ロシア映画とフランス映画の中間的な感覚で大いに楽しめる。

前のWORDで打ち出せなかった【白痴】が出るようになった理由は何?

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この記事へのコメント

2008年07月31日 18:23
>先日の「あにいもうと」とはまるで正反対の
>邦画史上屈指の名優である。

「あにいもうと」での彼はこの人誰?なの?
っと私、一瞬戸惑ったほど本作とは別人でしたね~^^
京マチ子との争うシーンも渾身の演技!(拍手!)
その役柄にドップリと入って行ける
名優なんでしょうね~。
“動”の三船、“静”の森、“華”の原・・・
「あにいもうと」でもなかなか難しい役を
きちんとこなした久我美子・・・
あの当時の役者はほんと見応えがあります~♪

>高尚過ぎてピンと来ない

黒澤さんの豊穣なイメージ先走り作品かしら^^

ゴーゴリの「外套」とか、黒澤さんメガホンで
撮ってくれたら意外といいシャシンになった
かな~なんていま思い巡らせてますが~
オカピー
2008年08月01日 00:44
viva jijiさん、こんばんは。

>森雅之
「羅生門」で遭遇して以来、大好きな役者さんです。
貴族的なムードも、野卑な役も、純粋な役も、小心者も、何でもござれの名優でした。もっと長生きしてほしかったですね。
父親があの有島武郎。文章はお上手だったのでしょうか?

>久我美子
彼女にとって最大かつ最も難しい役だったのではないかと思われます。
彼女の持ち味は、やはり、清涼剤か狂言回しといったところで、堂々と主役を張るという感じではなかったですから。
全部の作品を見たわけではないですが、生涯のベスト・パフォーマンスではないか、と。

>ゴーゴリの「外套」
そうですね。
寧ろ、ここまで哲学的な作品より、あの小品なら「生きる」同様に小市民的な良い味を出せそうですよね。
2008年08月10日 13:59
オカピーさん、こんにちは。
ヴィスコンティの『若者のすべて』のロッコはムイシュキン、シモーネはロゴージン、ナディアはナスターシャをモデルの一部としていたそうですのでTBします。特にドロンのムイシュキン的演技は絶賛に値します。
オカピーさんの7点、う~む、きびしいですねえ。
>高尚過ぎてピンと来ないテーマ・・・
確かに。
テーマの捉え方としてはヴィスコンティのほうが、わかりやすいですよ。日本が半封建的なお国柄である分、黒澤監督も中途半端な主張にならざるを得なかったのかな、などと思ってしまいます。札幌(当時の)が舞台というのも無国籍風でポエジックな情緒があり、わたしは好きですが、客観的にはどうなんでしょうね?黒澤監督自身は、当時ずいぶんと札幌がお気に入りだったようですが。
ともあれ、現代のキリストの生きる場所は心療内科しかないんでしょうかね。デュヴィヴィエが『フランス式十戒』で、そういう患者(フェルナンデルが演じてました)をキリストに見立ててシニカルな短編にしていたことを思い出します。
では、また。
オカピー
2008年08月11日 01:58
トムさん、こんばんは!

>若者のすべて
「白痴」の要素があったとは知りませんでした。
ヴィスコンティほどの作家になれば、ドストエフスキーは避けて通ることはできないんでしょうね。

>7点
厳しいですかねえ。^^;
主役4人と撮影は素晴らしいですし、無国籍ムードも良いですが、カットによる影響は無視できません。ひねくれた考えとしては主役以外が余りにもエキゾチックでないこともありますかね(笑)。

>札幌
関東の人間としては北国ムードがあって良いと思いますね。ロシア文学は南国ではうまく翻案できない感じがしますよ。

>フランス式十戒
すっかり忘れちゃったなあ。
オムニバス映画全盛のころの作品ですね。
フェルナンデルとデュヴィヴィエと言えば、「殺人狂想曲」も面白いコメディでした。未見ならお薦めです。

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