映画評「日本独立」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・伊藤俊也
ネタバレあり

日本はドキュメンタリーを別にすると政治映画が作られない国なので、日本国憲法の成立までを主題とした本作のような作品は実に珍しいわけである。学生時代に「小説 吉田学校」(1983年)というドラマ映画を観たが、それくらいしか記憶がない。後は実話を基にしたフィクションに幾つか面白いものがあるくらい。
 そもそも日本は色々と配慮して人物名だけでなく実名を使わないお国柄というのも、実在の人物が出て来る政治映画が作られない理由の一つであろう。大学の名前も警察署の名前も企業の名前も架空が大半だからね(バックアップしている企業は別)。

本作の主人公は、日本の新憲法を通らせようと強要して来るGHQに対し、吉田茂外務大臣(小林薫)ら1946年当時の内閣を補佐して動いた白洲次郎(浅野忠信)だが、この映画に見る白洲は概して外面的な行動での彼に過ぎない。その意味では、吉田茂のほうが主人公的である。
 僕は政治には大して興味がないので、政治の本を近代以前の歴史書を別にすると殆ど読んだことがなく、ディテイルなど全く解らない。本作も、日本国憲法の成立経緯が教科書的に理解できるお勉強映画だわい、と思ってそれなりに楽しんだ。

改憲派や保守が喜ぶ映画という人が多いが、そうとは限らない。
 改憲派も9条に疑問を呈する人ばかりでないし、日本国憲法を押し付けと言いつつGHQの流れをくむ在日米軍を天皇のように崇める連中が本来の意味で保守であるわけではないからだ。憲法9条と在日米軍は裏表の関係である以上、安倍元首相タイプの改憲派は、9条を改定(僕には改正とも改悪とも言いかねる)した暁には、ある程度時間をかけて(アフガニスタンにおけるように)出て行って貰うと言うべきなのに、それを言う人がいない。それを言わないのは似非保守である。その意味では個人主義を標榜する一方で、軍備が整ったら米軍に出て行って貰い真の独立を果たすべきと言っている僕の方が余程保守ではないか。

本作では描かれないが、GHQは二つの組織があり、日本国憲法を主導したのはリベラルなGS(民政局)と呼ばれるグループで、日本占領中にアメリカ政府が反共に転じた為に反共的なG2(参謀第2部)がやがて実権を握ることになる。この流れの中で起きたと言われるのが三鷹事件、下山事件、松川事件という鉄道絡みの三大ミステリーである。G2が共産党のせいにしようと労働組合員を犯人に仕立てたという説が流布している。

僕がGSとG2を知ったのも数年前に松本清張の「日本の黒い霧」を読んだことによるが、その中で下山事件が扱われている。多分GSが日本国憲法を作らせる一方で、G2は早くも日本の再軍備を考えていたのではないか?
 本作の終盤近くで、吉田が「憲法が作られた以上20年や30年で再軍備はできませんよ」とホイットニー民政局長に言っている。これは脚本を書いた伊藤俊也が現状に照らして言わせた可能性が高いが、吉田が先見の明があったようにも読める。
 その一方で、マッカーサーが憲法作成を急いだのは極東委員会の一国ソ連の共産主義的影響を除く為という立場であることを強調、アメリカ側を擁護しているようにも思える。これが事実であるとすれば、マッカーサーは日本の為になることをしたということになる。
 日本国憲法の成立がずれ込んだら、ソ連が絡んで多分天皇制はなくなっていたにちがいない。占領したのが米軍オンリーだったのは相対的に日本にとってラッキーだった。これを否定する日本人は殆どいないだろう。
 日本国憲法成立においてマッカーサーを称えている・・・と、この映画を読むなら、現状の憲法を必ずしもネガティヴに捉える映画とも言い切れない。内容と経緯は別という考え方もあるが。

米軍に占領されたら日本人はとんでもないことをされる、と終戦末期に日本人が疑ったのは、日本軍人が中国でやったことの罪悪感の裏返しである。勿論個人差があり、品行方正な日本軍人もいれば、女性たちに乱暴を働く出来の悪い米軍人もいるが、総じてアメリカ人は精神的に進歩していた。マッカーサーが戦後、アジアの人間は遅れていると発言したのは、日本人には悔しい(僕も何を!・・・と一瞬思った)が、一面仕方がないことなのかもしれない。

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