映画評「マティアス&マキシム」

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年カナダ映画 監督グザヴィエ・ドラン
ネタバレあり

グザヴィエ・ドランは退屈するという意味において苦手である。本作は彼の監督作品と知らずに観たが、今までの中で一番退屈したと思う。
 僕はお話の退屈度で評価はしない。どんなに退屈させられても、映画としての結構が整っていれば☆☆★くらいは付ける。本作は正にそうした作品になる(この場合の“なる”は当たる=相当するの意味。最近何かを紹介する時にやたらに“なる”を使う人が多いのが気に入らず、批判のつもりで敢えて使う)。

幼馴染の青年マティアス=マット(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(ドラン)は、共通の友人の妹が作る学生映画でキス・シーンを演ずることになる。この経験に芽生えた自らの心情に動揺したマットは、間もなく豪州へ留学するマキシムから依頼された弁護士をする父親の推薦状を渡さないまま彼の出発前日に至る。マキシムは事務所に連絡してメールで推薦状を取得して事なきを得ただけでなく、出発の日、見送りに来たマットを見出す。

主題は解りやすい。
 要はマットの、自分の中にあった思いがけぬ同性愛の傾向に動揺する様子を描くことである。しかし、その動揺を直接的に描かないので、終盤に近付いてそれが漸く気づかされるような感じで、結局それを把握するまで意味が解りかね、どうも独り合点的と言わざるを得ない場面が多く、退屈するのである。つまり、退屈するのはお話の起伏ではなく、場面ごとの見せ方にあるという次第。

画面的に一番印象的なのは、パーティーをしている家の周辺に雨が降り出し、関係者が何かを取り込んでいるのを捉えた後カメラが左に移動すると、窓ガラスに体を押し付けるように抱擁する二人が窓越しに見えるという移動撮影だ。ここでカットを切り替えて今度は家の中で横から同じ二人を捉える。
 この2カットの感覚は実に素晴らしい。

カナダは英語圏とフランス語圏では全く違う国のような映画が作られる。少なくとも日本に紹介される映画はそうである。本作はフランス語圏の作品なので、まるでフランス映画を観るが如し。ドランの作品はフランス映画と言われても、誰も疑わないだろう。

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