映画評「『エロ事師たち』より 人類学入門」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1966年日本映画 監督・今村昌平
ネタバレあり

野坂昭如のデビュー小説を今村昌平が映画化した風俗ドラマである。
 1980年代末か90年代初めの頃に地上波で短尺版を観た。30分以上のカットがあったので、実質的に初鑑賞と言っても良いくらい。

1960年代前半の大阪。未亡人・春(坂本スミ子)が開いている理容室の二階に間借りしているスブやん(小沢昭一)は現在ではその内縁の夫となってい、ブルーフィルム公開・販売、売春斡旋などエロ関係の商売で食っている。
 春の連れ子の兄(近藤正臣)とは相性が悪いが、中学3年生の妹・恵子(佐川啓子)との関係はそこそこ順調。しかし、春が入院するや、彼女はチンピラたちと遊び回り、やがて彼を強襲させたりする。
 兄は入院中の母親を騙し彼の通帳を奪って独立、スブやんは破産状態に追い込まれる。警察にも厄介になったりする。恵子も同様。春は妊娠が判明した後発狂して死ぬ。
 数年後スブやんの努力の甲斐あって不良娘啓子は更生して今や美容室のママとして頑張っている。スブやんはダッチワイフ作りに専念しているが、大量生産の話には興味を示さない。

というお話は、実は劇中劇の体裁で、多分スブやんが作った映画なのだ。

今村昌平は、フェデリコ・フェリーニに似て、人間のバイタリティーを猥雑に見せて重喜劇的。人間や物の悪臭すら感じさせる作風が苦手だったが、内臓をえぐり出すと形容したくなるタッチに凄味があって、年齢を重ねるうちに好きになった来た。

本作では、鮒が臭みを伴って登場する。捨てても再び現れ、病院にも見出される鮒は実に悪魔的で、人物の会話を二匹の鮒が話しているように見せるショットまであり、監督は相当鮒に拘っている。
 これら鮒の描写は彼女の狂気に関連しているのかもしれない。少なくとも狂気ムードを醸成している。春たちの睦みごとを(水槽越しに)捉えたショットが突然鮒の暴れで乱れるのも面白い効果がある。

Wikipediaを斜め読みすると、原作には兄が出て来ないようで、全体的にもかなり今村風にいじっていることが伺われ、原作では要素の一つに過ぎないらしいダッチワイフが終盤でモチーフを成している。本作に出て来る様々な人々の奇妙な営為が人類学という題名の所以なのだろうが、ダッチワイフ=女体=人類、従ってダッチワイフ作り研究=人類学研究なのかもしれないと思えて来る。それなら人体学入門じゃよと反論されるかもしれないが。
 登場人物にお金稼ぎにあくせくさせた挙句に、ダッチワイフをめぐって物質文明の否定とも受け取れる主人公のコメントを出してくる辺り、今村が当時の高度経済成長時代の日本をちょっと皮肉ってみせた感じもする。

黛敏郎の背景音楽もなかなかに多様、狂った春が病院の鉄格子を掴んでいるショットがいきなり海辺のショットに変わり激しいスピードで遠ざかっていくところで、サーフ・サウンドを乗せるのが実に良い。表現的にはここがハイライトだ。

落ち着かない事甚だしかった7月8月を経て、僕の心の落ち着きと共に畑の栗が落ち始めた。秋です。今年も大量に取れそうだ。栗は拾ったら冷蔵庫に入れる。そうしないとやがて虫が湧いて粉だらけになる。冷えることで甘味も増す。

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