映画評「マチネの終わりに」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・西谷弘
ネタバレあり

平野啓一郎の同名小説の映画化。
 監督が西谷弘ということでも解るように、映画版はロマンスの部分が強く印象付けられる作り方になっているが、それでも原作の狙いであったであろう主題らしきものも一応は伝わって来る。

天才的なクラシック・ギタリスト福山雅治が、あるコンサートの後、音楽プロデューサー板谷由夏の知り合いであるフランスを拠点にジャーナリスト活動をしている石田ゆり子と出会い、好意を抱く。彼は彼女に日米ハーフの婚約者・伊勢谷友介がいるのを承知しながら、強気で彼女に求愛する。
 彼女も答えを保留しつつもよろめくが、落ち合うその日に師匠・古谷一行が脳梗塞に倒れる。彼がタクシーにスマホを忘れて来た機を捉えて彼のマネージャー桜井ユキが、嘘の別離メッセージを送信する。
 かくして彼はマネージャーと結ばれ、彼女は既定路線通り婚約者と結ばれ、同じ年頃の子供を設けている4年後、夫の復活の舞台に選んだNYの劇場と交渉しに同地に赴いた元マネージャーの妻は、石田ゆり子に真相を告白する。
 泥のような失意に沈む彼女は、彼の復活コンサートに足を運ぶ。そしてセントラル・パークで互いに見(まみ)えるのである。

前半における欧州映画のような幽玄なムードがなかなか良い。“ちと日本映画らしからぬ”とニコニコしていると、映画は突然極めて大衆的なすれ違いロマンスに急変して、その強引な扱いに首を傾げることになる。
 序盤の良いムードはその後なかなか戻って来ず、しかも彼女のサイドと違って彼のサイドは安定した家庭生活を送っている為にロマンスとしてはこれ以上の発展性は望めない。
 つまり、映画はロマンスを結実させる気がなく、序盤に提示された“未来も過去を変えられる”というテーマに収斂すると察知できる。セントラル・パークで再会する彼らは、復活コンサートの清々しさを経て、既に男女の愛欲を超えた達観した境地に達していると思われる次第。

ロマンスとしてずっと観ていた観客には肩透かしであろうが、序盤の台詞から“未来と過去”の関係が頭に引っかかっていた者にとって、中盤ドタバタして調子が落ちるとは言え、男女二人の心理の動きを描く作品として一応の手応えはある。

Allcinemaのコメントにあるように、音の映画と僕も思う。背景音楽にも使われる主人公の奏でるクラシック・ギターだけではなく、雷鳴やテロの騒音を含めて、そういう印象を序盤から強く持つ。実際映画館の音で聴きたいと思って観ていたのだ。

実際にギターを弾く福山氏だから様になっているね。

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