映画評「アーヤと魔女」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・宮崎吾朗
ネタバレあり

御大宮崎駿が「ハウルの動く城」で取り上げた児童文学者ダイアナ・ウィン・ジョーンズの児童文学のTV映画化。スタジオジブリとしては彼女を扱う二作目となるわけだが、監督は代わって息子の吾朗。海外では劇場公開の予定、日本でもいずれ劇場公開されるのだろうか? 

12人の魔法使いから追われる赤髪美人(声:シェリナ・ムナフ)が、孤児院の前に赤子アーヤを置いて去る。10年後孤児院生活を謳歌する天真爛漫なアーヤ(声:平澤宏々路)の前に、いかにも不気味な背の高い男マンドレーク(声:豊川悦司)と肥った女ベラ(声:寺島しのぶ)が現れ、引き取っていく。
 実はベラは魔女で、彼女を下働きとしてこき使う算段。アーヤはベラに魔法を教えてもらうつもりでいたが、約束が反故にされた(と言うか半ば彼女の勝手な思い込み)為に、ベラと長い付き合いで恨みがなくもない黒猫ジジならぬトーマス(声:濱田岳)の協力を得て、魔法を会得していく。
 かかる状況で魔法で封鎖されているマンドレークの部屋に入ったアーヤは、二人が自分の持つカセットテープにある曲を演奏する三人組のロック・バンドのメンバーと知り、もう一人の赤髪の女性の正体を知りたがる。
 かくして、最初から割合好意的だったマンドレークに加えて、ベラも次第に懐柔していった彼女は遂に天下を取る。やがてクリスマスの夜、10年ぶりに母親が現れる。

原作原文ではヒロインの名前はEarwig。日本語でハサミムシや盗み聞きする人の意味であるが、それでは余りに変てこなので、原作和訳の際に発音に準じて“アヤツール(操る)”に変え、登場人物により“アーヤ・ツル”とされ、通常“アーヤ”と呼称されるらしい。翻訳ものの苦しいところであります。

駿御大の場合、翻訳ものより、海外のものを着想ベースに置いても(「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」等)オリジナル脚本のほうが楽しめる作品に仕上がる傾向があった。人間は自然の一部であるという世界観に基軸を置く作家性が、自由度の高いオリジナル作品にこそ生かされるのだと分析している。
 その点息子はどうかと言えば、まだ全然解らない。少なくとも強烈な作家性を今のところ現していず、本作でも、英国伝統の孤児院ものに魔法使いものを加えた内容や、「赤毛のアン」や「少女パレアナ」のヒロインたちに似た、若しくは匹敵しそうな溌剌とした少女の魅力を損なわない程度にお話を進めているだけという印象は否めない。現在のところは、映画作家というより演出家なのである。

本作で断然素晴らしいのは武部聡志による音楽で、1960年代後半から70年代序盤にかけてのアート・ロックやプログレッシヴ・ロックみたいで非常に楽しく、★一つ分プラス。

NHK Eテレ「100分de名著」が取り上げたブルデュー「ディスタンクシオン」が大変興味深かった。趣味すら多く出自、出身階層で決まるというのである。映画を中身以上に作り方で観る僕は出自の労働階級から逸脱しているということになり、例外の部類のようです。

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