映画評「ゴッドファーザー」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1972年アメリカ映画 監督フランシス・フォード・コッポラ
ネタバレあり

「ゴッドファーザー」と「パルプ・フィクション」は世評と僕の評価が乖離している為(また上映時間が長い為)に取り上げて来なかったのだが、評価と好悪は別で、本作は実は相当好きな作品である。評価においても「パルプ・フィクション」よりはずっと高く評価している。

映画ファンになってそれほど経たないうちに大いに話題になったマフィア映画だが、そもそも本作の前にマフィアなる言葉を日本人は全く知らなかったと思う。日本のヤクザ映画に相当するものはギャング映画と言っていた。本来経営用語であるシンジケートという言葉も別のマフィア映画によりかなり定着した。

撃ち合いの激しさでは戦前の「暗黒街の顔役」(1932年)も引けを取らないが、当然同作を観る前のティーンエイジャーの僕は非情なバイオレンスにビックリしたものだ。

とりあえず、簡単にお話をおさらい。

ニューヨークの五大マフィア・ボスの中でトップに君臨するヴィトー・コレルオーネ(マーロン・ブランドー)は、麻薬密売の大物ソロッツォ(アル・レッティエリ)から麻薬の話をもちかけられるが、麻薬は様々な問題を生むとして拒否する。それを恨んだソロッツォは支配下にある大親分タッタリアではなく、その類縁にあるバルジ―二(リチャード・コンテ)の指示の下、ヴィトーを襲わせる。ヴィトーは一命を取り留めるが、直情径行の長男ソニー(ジェームズ・カーン)はすぐに行動に出て、タッタリアの息子を仕留める。
 ここに応酬が始まり、ソニーも身内に裏切られて嵌められ、射殺される。頼りにならない次兄フレド(ジョン・カザール)はラスヴェガスに送られ、暗黒街とは縁のなかったインテリの三男マイケル(アル・パチーノ)がそれ故に敵討ち役に指名されてソロッツォと悪徳警官を倒す。
 この事件を受けて彼は父の故郷シチリアのコルレオーネ村近くに身を隠す。彼が同地で見初めて結婚したアポロニア(シモネッタ・ステファネッリ)が彼の代りに爆死し、ほとぼりが醒めた頃帰国する。ヴィトーは五大ボスの会合を催し、マイケルに手出しをしないことを条件に、一応の和平協定を結ぶ。
 かくして堅気の生活に戻れなくなったマイケルが大ボスの座を継ぎ、再会した前の恋人ケイ(ダイアン・キートン)と再婚する。
 マイケルは頭が良くかつ冷静沈着である為に油断することなく、却って冷酷な面を発揮、大親分バルジーニやその周辺、次兄を世話していたラスヴェガスのボスを一掃し、シンジケートのトップに立つ。

抗争場面の激しさだけであれば「暗黒街の顔役」以降同じレベルの作品があったかもしれない。イタリア的家族愛を描いた映画では「鉄道員」「若者のすべて」が思い浮かぶなど、その面でも格別に目新しい作品でもない。しかるに、正に絶妙な匙加減でマフィア間の非情な暴力を、強い絆で結ばれる家族の描写によってサンドウィッチしたところが全世界の映画ファンの琴線に触れ、大ヒットしたのだと思う。家族のソフトな面と、マフィアの非情な面が、後半まで対位法的に綴られ、過激なだけでは閉口しかねないところをうまく回避するのである。

とりわけ絶品なのは、ニューヨークからシチリアの場面に変わる所で、正に対位法の極致と言うべし。1時間半を過ぎたシチリアの場面で初めてニーノ・ロータによる有名な「愛のテーマ」がかかる。ロータによる音楽が本作を成功作たらしめた最大要因と言っても過言ではないと、ロータの大ファンたる僕は信じる。それくらい素晴らしい。撮影も秀逸。

ただ、マフィア(ギャング)映画としては、家族愛というオブラートでくるんだ柔らかな印象が時に過剰で甘く感じられ、僕は何回観てもその点が本作の弱さと感じる。映画として厳しさが足りないのである。同時に、生まれついてのロマンティストである僕にはその甘いロマンティシズムが好ましい。好悪と評価を一応分けるのが僕のスタンスなのだ(勿論完全には分けられない)。

個別には、上の梗概では全く無視した結婚式の場面から、フランク・シナトラがモデルと言われる歌手の映画出演にかけての場面的対比がまず効果的。その中で33分頃の、映画プロデューサーの愛馬の頭がベッドにある場面は初めて見た時には腰を抜かしたもので、マフィアの非情・過激がよく表現され、本作の中でもインパクトが強い。
 長男が待ち伏せされて射殺される場面の呼吸も素敵だ。嵐の前の静けさという印象の醸成が上手かった。

本作の基調を成す対比と言えば、教会での洗礼の場面とボスたちの怒涛の暗殺場面のカットバック(厳密にはクロス・カッティング)が強烈で、かかる対位法的な見せ方は本作以降暗黒街映画で増えて行ったと思う(ルキノ・ヴィスコンティ監督「若者のすべて」(1960年)における終盤のクロス・カッティングの影響があるかもしれない。本作全体に「若者のすべて」に通底するところ多し)。

配役陣も素晴らしく、新星パチーノはこれで大スターの座につき、ダイアン・キートンにとってはステップ・アップになった(大スターになるのはウッディー・アレン監督「アニー・ホール」によってであろう)。義兄弟で相談役役のロバート・デュヴォールやジェームズ・カーンは既に実績があったが、本作により確固たる地位を築いたと言っても良いのではないか。特に、主役級のカーンと違ってバイプレーヤーだったデュヴォールはぐっと知名度を上げたと思う。ブランドーは、昔からのファンにすれば、実年齢(撮影時47歳)以上の老け役に驚いたはず。

マーロン・ブランドーはドー、ネヴィル・ブランドはド。前者はdo、後者はdだから、表記に差を設けている。

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