映画評「アギーレ/神の怒り」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1972年西ドイツ=メキシコ=ペルー合作映画 監督ヴェルナー・ヘルツォーク
ネタバレあり

サイレント映画からトーキー初期にかけてドイツやオーストリアは映画先進国だったが、ヒトラーが実権を握って実力のある映画作家が国外特にアメリカへ逃げたこともあり、すっかりダメになった。戦後は「菩提樹」(1956年)といったファミリー映画のようなものがぼつぼつ公開されたが、映画芸術として問題にするに値するものは全く製作されなかったか、若しくは、我が国に紹介されなかった。
 ところが、1980年代に入るや否やライナー・ウェルナー・ファスビンダー監督「マリア・ブラウンの結婚」(1979年)が公開されて評判を呼び、ニュー・ジャーマン・シネマと称されて、ヴィム・ヴェンダースや本作監督ヴェルナー・ヘルツォークが次々と正式に紹介された。当時次々と紹介されたこの三監督の作品は殆ど映画館で観た。ヘルツォークのこの古い歴史劇が公開されたのも、そのブームがあったからで、実に製作から10年以上の月日が経ってからの公開であった。
 それから40年近く経ち、紅顔の、しかしただの少年(若者の意味なり)だった僕も還暦を過ぎた。

16世紀の南米。インカ帝国を滅ぼして悪名高いスペインのピサロに指令を受けたウルスラ隊長(ルイ・グエッラ)率いる分遣隊において、エル・ドラドを見つけて新大陸征服の身分不相応な野望を持った副隊長アギーレ(クラウス・キンスキー)がクーデターを起こし隊長を負傷させ、最も身分の高い貴族(ペーター・バーリング)を隊長兼エルドラド国王に仕立て、陸行の代わりに選んだ川での移動にも、見えざる原住民の弓矢の攻撃に苦労する。
 前隊長を庇護していた”国王”が弓矢に倒れると最初の計画通りに彼を処刑するが、感染症が蔓延して次々と人員が亡くなり、遂に(無謀にも連れて来た)娘にも死なれたアギーレは、独り筏に立って“神話の如く娘と結ばれて帝国を打ち立てるのだ” 叫ぶ。

双葉十三郎氏が人物の捉え方がサイレント映画的と仰っているが、もっと具体的に言及すれば、とりわけF・W・ムルナウの「最後の人」(1924年)やエリッヒ・フォン・シュトロハイムの「グリード」(1924年)といった、ドイツ系監督の映画を想起させるところがある。

アギーレの言い草ではないが神話的なところがあり、同時に人間劇として非常に骨太で厳しい。恐らくドイツ圏の先輩たち(オーストリア人シュトロハイムはアメリカで撮ったわけだが)に影響を受けた結果だろう。
 同時代のニューシネマのアメリカ映画でさえ生ぬるく感じられるくらいの断ち切るようなリアリズムの描写に凄味があり、ヘルツォークが同じく南米を舞台に描いて通底する後年の野望劇「フィツカラルド」(1982年)ほどの面白味を欠くとは言え、映画館で観た時に実に強烈な印象を覚えたことを思い出す。

「アギーレ/監督の怒り」というサッカー界を舞台にした映画はありません。

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