映画評「バーバラと心の巨人」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年アメリカ=ベルギー=中国=イギリス合作映画 監督アナス・ヴァルター
ネタバレあり

ジョー・ケリー(作、恐らく)とケン・ニイムラ(画、恐らく)によるグラフィック・ノベルをデンマーク出身の監督アナス・ヴァルターが映画化したドラマ。
 しかし、テーマやモチーフが2016年の「怪物はささやく」ほぼ同じなので、最後まで観てがっかりさせられた。気を取り直して少しお話をば。

12歳くらいのバーバラ(マディスン・ウルフ)はウサギの耳をつけて学校に通う奇行少女で、当然友人の一人もいない。偏見のない英国からの転校生ソフィア(シドニー・ウェイド)と親しくなるが、彼女が100年前に活躍したフィリーズの投手コヴェルスキーの名前を付けたバッグを持ち、誰にも見えない巨人と闘う様子にはさすがのソフィアも困惑する。

一向に心を開こうとしない様子にスクールカウンセラーのモル先生(ゾーイ・サルダナ)もお手上げだが、やがてヒントを掴む。そのヒントは、その前にソフィアがバーバラの避難場所で発見するテープによる我々に小出しに示される。
 そのテープには姿を一度も見せない母親(ジェニファー・イーリー)とバーバラがナレートする野球選手の伝記のようなお話が入っている。

ははは、母親は亡くなったか病気で不在で、少女は現実から逃避しているのであろうと凡そ想像が付き、やがてモル先生の口から“母親が会いたがっている”という言葉が出るともっと明確に解る。即ち、バーバラは、心の中に構築した、母親の病魔という巨人と闘っているのである(見た目は向かっているのであるが、これも逃避であろう)。
 しかし、周囲の人々との交渉を持つうち現実の厳しさを知らされ、心の中の巨人(実はもう一人の彼女と言うべし)から“終りを受け入れる覚悟を決めろ”と諭される。

主人公の少年が母親の看病に疲れその死をどこかで願っている自分と闘っているというもっと複雑な心理を扱い、それを三つの枠物語で語っていた「怪物はささやく」に比べると、構成も心理も単純である。
 単純だから劣ると言うわけではなく、モチーフとして余りにも酷似している為に後発のこちらに二番煎じの印象が拭えず弱い、ということ。モル先生との関係も少々くどく、もう少し早めに母親の病気にまで進んだほうがまだるっこくなく良かったのではないか。

実在したコヴェルスキー投手は、ニューヨーク(現サンフランシスコ)・ジャイアンツに強く、ジャイアンツ・キラーと呼ばれたらしい。なるほど。野球と言えば、春の甲子園が中止になったけれど、これから感染がじわじわと地方にも広がっていくであろうことを考えると、寧ろ地方大会から始まる夏の甲子園のほうが厳しいのでは? 三月十代への感染がほぼゼロであったことを考えると、春は無観客ならやることができたのに。安倍首相があの時期には必要でなかった休校を要請したことが心理的に影響を及ぼしたと思っている。

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