映画評「旅路」(1958年)

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1958年アメリカ映画 監督デルバート・マン
ネタバレあり

本館でリタ・ヘイワースの画像問題を出した時に少し話題になったのが本作。不本意にもお話をよく思い出せなかったので、運良くライブラリーにもあった為、久しぶりに再鑑賞することに致した次第。

英国の海辺に近いホテルが舞台。上流階級の高慢な老婦人グラディス・クーパー、その娘で内気なオールドミスのデボラー・カー、彼女と親しみ合っている自称少佐(実は中尉)デーヴィッド・ニーヴン、アメリカ人のバート・ランカスター、その前妻で彼を振り向かせようとホテルを訪れる有名モデルのリタ、ランカスターと恋仲になった女主人ウェンディ・ヒラーらが織り成す群像劇である。

原作はテレンス・ラティガンの戯曲で、ジョン・ゲイとの共同で自ら脚色している。

貴族的に高慢な母親にかき回されるニーヴンとデボラーの同病相憐れむような恋愛感情と、ランカスターとリタの焼け木杭の感情とが、部分的に重なり合いつつ軸を成しているのだが、最重要なのはニーヴン。グラディス・クーパーの老婦人は劇場で痴漢行為を働き嘘を付いてきた彼を徹底的に排除しようとホテルの住民に働きかけるのだが、夜が明けて落ち着いた人々はホテルを出る前に朝食を摂る彼に挨拶をし、娘は生れて初めて母親に逆らう。
 つまり、老婦人は「十二人の怒れる男」のリー・J・コッブのような立場に追い込まれるわけで、他人に対する誠実というテーマが浮かび上がる。
 このホテルに生きる人々は多く、何かをとりわけ人間を怖れているのだが、しかし、最後に孤独をかこつのは高慢な老婦人なのである。

人間の嫌な部分や弱い部分を焙り出しながらもしっとりとした後味を残す文芸的なお話で、同種の「グランド・ホテル」(1932年)のような華々しさはないが、滋味では甲乙つけがたいと言って過言ではない。

演技陣では、アカデミー主演男優賞受賞のニーヴンと助演女優賞受賞のウェンディ・ヒラーが出色の出来栄え。アカデミー会員の選択は正しかったと思う。しかし、実際の出番はヒラーのほうが多く感じられるので、主演・助演の区分にはやや疑問を感じる。大人の事情というやつだろうか?

ニーヴンの行為が解りにくい(映画では痴漢以前。僕は一応痴漢と判断した)のは、やはり、ヘイズ・コードの影響か? 何しろ、性犯罪者が女性と接触せず、銃撃で女性を殺す(連続女性射殺事件の犯人が性犯罪で追われる珍妙さ)という見せ方しかできなかった時代ですから。同時に、1958年はコードに軽く逆らう映画がぼつぼつ出始める頃でもあった。

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