映画評「座頭市逆手斬り」

☆☆★(5点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・森一生
ネタバレあり

シリーズ第11作。脚本が浅井昭三郎につき第9作「関所破り」に似た感じの内容なのは歓迎できないが、あの作品ほど物語は破綻していないように思う。

博打で捕えられた座頭市(勝新太郎)が隣の牢の男・水原浩一に“人殺しで捕えられた自分が無罪であることを証明するよう土浦の親分に頼んでほしい”と言われる。無視しようと思ったのに、矢場で偽坊主・藤山寛美と知り合ったことから結局土浦の親分・原田詃に会って告げる。
 ところが、この原田氏、銚子の大親分・石山健二郎とつるんで水原を嵌めた張本人。大親分は市が当地へやって来た目的を知って事前に暗殺しようと刺客を何度も繰り出すが果たせず、逆に脅されて証文を取られてしまった為、それを使われまいと最後に総勢で市に襲い掛かる。

第9作はそもそも物語自体が成り立たない感じだったが、今回はそこまでひどくないものの、定食屋として案内された場所が原田親分のアジトだったり、土浦で救って貰った恩を異様に返したがっている妙齢美人・滝瑛子が(後を追いかけていたにしても)事ある毎に都合よく市の前に現れるなど調子の良すぎるところが目立つ。

強い殺し屋が不在で、刺客の質より量(多勢に無勢)で勝負している感が強く、アクション映画として見せ場が少ないのも弱体。三十六人斬りの荒木又右エ門よろしく数十人を相手にする最後の見せ場は勝の素早い動きに圧倒され、銚子らしくマグロ用か何かの網が敵の小道具として出て来るのが少し興味深い。

何作か前から純喜劇要素が入るようになり、第10作では三木のり平、今回は藤山寛美を出演させているが、喜劇色が強すぎて僕は余り買わない。銚子の人間なのに関西弁なのはシュールと言うべきか。調子に乗って座頭市に成りすまし、その結果暗殺されそうになるところを本物に救われて教訓を得るという辺りに可笑し味はある。

森一生監督は日本映画ファンの間で割合評判が良いが、省略を活用しない人なのでこういう切れのないお話を演出させると鈍重な感じが出て来て、寧ろ感心しないことが多い。

調子が良いのは、銚子が舞台であるせいと、脚本家が仰っていました(大嘘)。

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