映画評「母さんがどんなに僕を嫌いでも」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・御法川修
ネタバレあり

歌川たいじというブロガー/漫画家のコミック・エッセイの映画なのだそうだ。流行を追うことに全く興味のない僕は知らなんだ。最近ぽつりぽつり作られ始めた児童虐待に絡むドラマである。

主人公たいじ(青年期:太賀)は作者自身で、母親(吉田羊)から精神的・肉体的虐待を受け続け、17歳で家出をし通信制の大学を卒業して現在は営業員として働き、口が悪いが根は友達思いの劇団仲間(森崎ウィン)や、会社の同僚カナ(秋月三佳)やその恋人(白石準也)に“みっともなくて良い”と励まされ、再婚男性と死別した母親と再会した後苦難の末に遂には母親の気持ちを変えることができる。

良い実話である。本作を酷評するタイプには二つあり、一つは虐待を実際に受けたことがある人。虐待はそんなに甘くないという一般論から辛口の評価となる。
 しかし、実話なのであるから、そこに見られる特殊性から普遍性を抽出して吸収なければ映画鑑賞者としては失格である。この映画における普遍性は何かと言えば、人間は友人・知人に恵まれれば幸福な人生を送れる可能性があるということであり、最終的に母親が改心した背景にあるものを見出さなければいけない。

もう一つはとにかく、感動を眼目に据えた映画が嫌いというタイプ。これはもうひねくれているとしか言いようがない。確かに脚本の出来栄え・監督の演出力が全く伴っていなければそういう評価も十分あり得るが、本作はかなり厳しく見てもそこまでひどいものではない。

個人的に、本作は良いお話を特段に上手く作ったとも思えないから、比較的素直な見せ方に好感を覚えつつ、水準という評価に留めたが、胸を打たれた場面も少なくない。特に、上の梗概には出て来ないが、少年時代に彼を祖母のように励ます婆ちゃん(木野花)の母性、或いは友人たちが浜辺で“みっともなくて良い”と励ます場面が素晴らしい。後者において泣けない主人公を演じた太賀の演技が秀逸。

僕が気に入らなかったのは、漸く母親と理解し合えたのに、結局死んでしまうことだ。実話だから仕方がないと言えばそれまでながら、それであるならば映画は和解したところで終わるべきではなかっただろうか?

そうそう、この母親も一方的に悪いとは決めつけられない。子供時代の虐待云々より、結婚後の環境が良くなかった。虐待を受けた事実、虐待をした事実とば別次元で、自分の弱さに甘えてしまった彼女もまた不幸な人であったと思う。

人生に不満を抱えている人の三分の二くらいは、考え方次第で幸福を感じられるだろうと思っている。自分が笑っていれば幸福になれることに気付いていないだけだ。欲求という分母が大きいだけなのだ。因みに、“嫌い”は形容動詞であるから、他動詞のように“僕を”を受けることはありえない。“僕が”でなければならない。ただ、“が”が二つ並ぶのは格好悪いよね。

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