映画評「わんぱく王子の大蛇(おろち)退治」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1963年日本映画 監督・芹川有吾
ネタバレあり

ブログ友達の浅野佑都さんに紹介されたので、図書館の蔵書検索を調べてみる。とうも県内にはないらしいので、手に入ったばかりのアマゾン・ギフト券でDVD(ブルーレイ化はされていない)を買い、観てみた。浅野さんの仰る通りの出来栄えと思う。

お話はほぼ原作の「日本書紀」通りだが、東南アジアや西洋の趣味が入っているところもある。

東南アジアの如く、主人公の少年王子スサノオ(声:住田知仁)が住んでいるのは虎のいる島である。母親イザナミ(友部光子)が死んで行ったという黄泉の国(本作中にこの言葉は出て来ないと思う)を目指し、子分の兎アカハナ(声:九里千春)を連れて、夜の国を司る兄ツクヨミを訪ねる。王子は先方の臣下たちが攻撃的に思えたので少々暴れてみる。が、結局兄は母の居場所を教えてくれない。
 そこで火の国(日本書紀とほぼ同時期に記された風土記の残る肥前だろう)に立ち寄って住民タイタン坊を配下に加え、姉アマテラスのいる高天原へ行き、その言に従って労働に生を出すが、文字通りの我田引水が祟って人々(神々?)の不興を被り、絶望したアマテラスは岩戸に隠れてしまう。
 人々の尽力で姿を現したアマテラスに反省の弁を述べたスサノオは見送られて出発、出雲の国に到着する。そこでは八つの首を持つ大蛇ヤマタノオロチが、八番目の生贄として美姫クシナダ(声:岡田由紀子)の命を狙っている。それを知ったスサノオは大蛇の退治に乗り出す。

ここで活躍するのが、ヤマタノオロチと似ているヒュドラからの連想か、ギリシャ・ローマ神話のペガサスのような白い空飛ぶ馬アメノハヤコマ。タイタン坊という言葉もギリシャ神話からかもしれない。

お話は日本書紀を子供向けの冒険談に仕立てたもので、その点同時代的にも新しさは期待できないものの、ひたすら冒険するという純度の高さを僕は高く評価したい。とりわけ、アメノハヤコマを駆ってスサノオが活躍する場面の描写が力強い。

最後に、彼が母の言った“平和の国”がヤマタノオロチを退治して訪れた出雲、この現世であることに気付くというところは後年作品の成長物語に通ずるところがあるが、変な説教臭がなく素直に接することができる。

絵は、グラデーションを用い精緻を極める現在の作品と違い、ベタに塗り込んで敢えて平板化している感じで、ウィキペディアの表現を借りればグラフィティ的。この平板化・シンプル化された視覚が、純度の高いお話にマッチしているという以上に、高い純度という印象を強めてさえいないだろうか?
 毎週放送されるものと同じ土俵で語れないのを承知で言うと、1963年に始まる「鉄腕アトム」など同時代のTVアニメとは滑らかな動きで歴然の差があり、同時代のディズニーに優るとも劣らない(元来僕はディズニー・アニメの独特な動きを余り好まない)。

「七人の侍」「ゴジラ」で映画ファンにもよく知られる伊福部昭の音楽もダイナミックだ。元来のクラシック作曲家らしい実力を随所に発揮、日本的なものから時にストラヴィンスキーを思い起こさせる音楽まで千変万化で実に楽しい。

今年代替わりの際に、天皇家を天照大神の子孫とNHKが断言してしまったことが結構話題になった。余りに一部保守に迎合しすぎている。一部保守層が牽強付会的な解釈(僕は一々反論できる)でNHKを左と決めつけていたが、最近は右派的にすぎる(これもそう単純ではないのだが)。この間は民放局がどこかの神社を2600年前(弥生時代ではないか)設立と断言していた。科学的根拠のない断言をこうも安易にTV局が連発するのは異常だ。

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