映画評「この世界の片隅に」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2016年日本映画 監督・片渕須直
ネタバレあり

こうの史代という漫画家のコミックを、片渕須直がアニメ映画化した。個人的に高く評価した「マイマイ新子と千年の魔法」の監督だ。レベルは高かったのに鑑賞された方が少なくキネマ旬報でも殆ど無視された作品だが、こちらは早めに評判になってキネ旬で1位になった。こつこつ作って来た甲斐があったと思う。今後は黙っていても以前に比べればヒットするだろう。

WOWOWにも民放地上波にも出て来ず、どうしたのかと思っていたら、NHKが買っていた。封切られた翌年の2017年に観られれば理想的であったが、民放でなくて実に良かった。評判通りの秀作。

昭和8年からお話はスタート。ヒロインすず(声:のん)は本人の説明から推して大正14年生まれと思う。
 それなりの尺を割かれて描かれる少女時代の後、昭和19年に彼女は憎からず思っている幼馴染がいるにも拘らず、勧められた縁談を承諾して、広島から呉市の海軍で働く文官・周作(声:細谷佳正)に嫁ぐ。
 呉は軍港で有名な街だから、米軍に押し込まれた時に激しい攻撃に遭うのは避けられない運命だが、絵を描くのが好きなすずはよく働きつつもぼんやりしたズッコケ娘なので、戦時中にもかかわらず周囲に笑いを振りまく、そこへ夫と訳ありの関係になった義姉・径子(声:尾身美詞)が娘・晴美(声:稲葉菜月)を連れて舞い戻ってくる。
 気の強い彼女はすずに嫌味を言い、その為にすずは脱毛症を患ってしまうが、晴美とは年の離れた姉妹のような親しい関係を築く。
 が、昭和20年空爆が激しさを増した折、手を繋いでいた晴美が時限爆弾で落命し、すずも絵を描くのに必要な右手を失ってしまう。程なく実家のある広島に原子爆弾が投下される。怪我から復帰した彼女は、両親が亡くなった後原爆症を発症した妹を漸く見舞う。
 夫と帰る道中飢えた孤児の少女と出会い、家に連れ帰る。

今まで余り観たことのない類の作品と思う。
 悲惨さは終盤を別にすると殆どなく、ぼけっとした妙齢女性のズッコケと秘められた青春の苦悩のうちに戦争の真の暗雲は静かに胚胎し、それが晴美の死とそれに対するすずの後悔により突然表面化する。

かくして本作は、立派な反戦映画たる資格を持つのだが、その牧歌的なムードは所謂反戦映画には余りないものである。敢えて言えば「禁じられた遊び」(1952年)に近い。

食糧難をしのぐ工夫など戦時の銃後風俗として非常に興味深いものが多く、そこから僅かに離れたところに存在する別世界のような花街の様子は戦争の複雑な様相を映し出す。

映画はヒロインの喜怒哀楽を通して“生”そのものを描く。“生”を寿ぐと言っても良い。それは彼女が失った右手が知っている過去を思い出すシークエンスにおいて、鮮やかに、アニメならではの圧倒的な見せ方により、示される。本作の白眉である。

その前の、晴美が死んだことに対するすずの思いを表現する一連の画面も実に秀逸。それまでは計算されつくした画角や色彩設計(特に白)などで正攻法に勝負していた映画が突然アート的に表現することに度肝を抜かれる。アート的なのは、絵に対する意識が強いすずの内面だからである。

やがて作者は、”生”のよすがを人間の絆に見出していく。晴美を失った事実に慣れた径子はすずに優しくなる。すずと周作が戦争孤児を連れて帰る真意は不明だが、単なる人情に加えて、一つは栄養不足で子供を授からない自分達の為、一つは晴美に代わる子供を径子に与える為の両方であるにちがいない。エンドロールにおける孤児の変遷が誠に微笑ましい。

映画を観終えて残るのは戦争の悲劇だけでなく、”生”の素晴らしさである。それがなかったら祖先は戦争を逞しく生き抜くことなどできなかったであろう。
 まだ幼い軍国少女であった晴美の死が悲しくてたまらないが、それでもこの映画は、余りに悲し過ぎて二度と観ることが出来ない「火垂るの墓」(僕の周囲に同じことを言う人が実に多い)と違って、何度も観たい気にさせる。

事務所とのゴタゴタで改名したのん(元・能年玲奈)のアテレコが抜群。

母方(昭和3年生まれ)の伯母が大正12年、伯父が大正15年生まれ。丁度ヒロインと同じ世代。もうみんな亡くなってしまった。

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